つれづれぐさ

つれづれなるままに。

「恋人たち」って何だろう

これはドラマの批判とかではなくて、
ただただ時代が変わったというか、追い付いてきた的な話なんですが、
 
昔のドラマ(2000年代の作品)を観てたら、
 
"今日は恋人「たち」が一緒に過ごすべき夜なんです!"
 
てセリフがあって、
自分はふつうに昔から
「そんな夜なくない??なんで皆一斉にそんなことになるの?」
って思ってたタイプで、
 
いまこのセリフきいて、たぶん違和感おぼえるひと、昔からすると凄い増えたと思う
 
これは、「たち」っていうのがポイントで
 
「恋人たち」ってなに?って凄く思うのですよ
 
単純に、例えば3組のカップルAとカップルBとカップルCがいたとして、
それぞれまったく関係がないし全然成り行きも事情も違うだろう状況なわけで
何をもって「たち」って括れるのかが全然わからない
 
なのに、多くの人が納得して行動していたのが当時から凄く意味不明なわけです
 
たぶん、今ならこの意味不明さは多くの人が理解できると思うのです
 
 
そもそも、「恋人たち」って何目線、誰目線でものを言っているのだろうかっていうのがあるんですよ
 
だって、複数の恋人に関与する存在なんてふつういないじゃないですか
 
いるとしたら、何かの業者でしかないとおもいません?
 
恋人たちって言葉を使うのって、恋人たちを相手にしている業者しかいないとおもいません?
 
なんで業者目線で個々の恋愛のことを考えたり語らなきゃいけないのかっていう、
主語と述語がまったくつながらないヘンな思考に長らく浸かっていたんじゃないかとさえ思ったりするわけです
 
関係ないんですよ
 
クリスマスとかバレンタインとか
 
ふたりの思い出になるべき日っていうのは、そんなこと関係ないんです
 
そんな日がふたりの最高の一日なはずがない
 
そんなわざわざいろんなものが高騰していて予約もとれないような日に、
思い出を残そうとするのって不毛じゃないですか
 
ただふたりでこの日にしようって決めればいいだけです
 
まわりの雰囲気とか、まちの空気感とか、どうでもいいんですよ
他のカップルも楽しそうにしてるから、自分たちも楽しく過ごせるとかいうのは、
確かにあるかもしれない
 
でも、関係ないです
 
そもそも雰囲気があるとこにいかなきゃいけないのでしょうか
雰囲気を借りないと楽しく過ごせないですか?
 
雰囲気ってふたりでつくるものじゃないのでしょうか?
それがつくれないというのなら、ふたりは何なんでしょうか?
 
仕事からの切り替えができないということでしょうか?
であれば、なぜ休日にしないんですか?
 
・・・とまぁ、昔からずっとこの思考をしているので、
クリスマスには縁がないねこさんです
 
クリスマスの楽しみは明石家サンタしかありません
 
明石家サンタ、今年は何が起きるかなぁ 
・・話を戻して、
ふたりにとってベストな日はふたりにしかわからないし
ふたりの中にしかありません
だから特別なんです
ふたりで決めましょうよ
 
クリスマスはふたりの大切な日になることを保証も保障もしてくれないです
もう、そういう時代になっているとおもいます
 
楽しいは、そこにあるものじゃなくて、
未来につくっていくものでしかないはずなんです
 
借り物の楽しさではなくて、
ふたりがいまだからこそ出会える、見つけられた楽しさ
そういうものに向かっていっていただきたいです
 
という、謎の願いとともに駄文を終えます
 
おしまい