2020あけましたね&承認欲求っていうのは違う気がするというはなし
2020がはじまりましたね
少し時間が経ってしまいましたが、あけましておめでとうございます。
年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。
ご縁あって覗いていただいた方、ありがとうございます。
本年も適当に色々綴ってまいります。
あと、2020は少し目標ができました。具体的には、
1.図書館にもっと行く
2.走る
です。
図書館が好きです。
好きなのに全然いけません。
なので行けるよう多少無理やりにスケジュールしてみたいと思います。
走ろうと思ったのは、読んでた本に「月に一度、くたくたに疲れる日をつくろう」って書いてあって、その一文に何やら惹かれて。
ないんです、そんな日は。
ないならつくろう、くたくた日。
ゆるいですが、この目標なら達成できそう。
承認欲求っていうのは違う気がするというはなし
さて、今日Pick Upしたいのは、けんすうさんのこのツイート。
今の若い人がバブル世代の消費欲を見てもピンとこないように、10-20年後の若い人は、今の人の承認欲求を見てもピンとこないのではないかな?と思う。
— けんすう@マンガサービスのアル (@kensuu) 2020年1月5日
これ、ほんとそうだなとおもうのです。
なんか、"承認欲求ブーム"みたいなのを感じてしまっていて。
だし、自分は既に承認欲求っていうもの自体疑ってる。
自分は承認欲求というのは正直本質ではなくて、
僕らが求めているのは、「手ごたえ」だと思う。
自分が生きていること自体であったり、
仕事や趣味など何かしていることであったり、
何か信じたい事等への、
「手ごたえ」ではないかと思う。
その「手ごたえ」を支えに、僕らは明日も生きようって思えるわけで。
その、生きるための支えとするには、他者からの評価というのは、
正直あんまりアテにならない事が多いと感じる。
アテにするにはあまりに不安定で、移り気で、捉えようがなくて、、
そういうものをアテにして生きてしまうと、きっと心をやられてしまう・・。
特に自分のように、あんまり大衆と迎合しなかったり、自分の好きなものを追い求めたりしたいタイプの人間とかは、
たくさんの人からは評価をそもそもされにくい傾向にあるので、誰かからの評価をアテに生きること自体が論理破綻してしまっている。
自分がこのブログを書いているのは、そういう、つかみどころのない何か、ではなくて、今自分の中や周りに確かにある何かのことを書き記したりしたいなという思いからなのであります。
2020はどんなことに出会ってどんなことを思うのだろう。
また書かずにはいられない、いい作品に出会えるかな。
あぁそうだ、2019年の最高の作品「モダン・ラブ」のこともかけていなかった・・。書きたい。。
人生が変わるような誰かとの出会いもあるかな。
まわりの誰かにいいことがあったら喜べるようでいたいな。
場所との出会いもあるかな。
自分はいわゆるサードプレイスの話が凄く好きで、そういう話も本当は書きたい。
・・そんなようなことを、ネットの世界に流れる「World War Ⅲ」とかの、物騒な単語を横目に考えていたのでした。
おしまい