渡部さんの件と不倫報道の是非のはなし
もう渡部氏の件で今日はもちきり。。
びっくりした。。
そんな中で
「佐々木希がいるのに浮気するなんて!」という声があるが、善悪は別として佐々木希と結婚できるような男こそ浮気しやすいに決まっているので全く意外な事態ではない。妻の容姿の良さと夫の浮気しやすさの関係のデータを取ったら正の相関が出ると思う。
— ystk (@lawkus) 2020年6月9日
このツイをみて、
たしかに統計とかとったらそうかも、とか冷静に考えてしまった。
でも今の時代は女性も強い人はとことん強い立場にいるので、たぶんこの逆、つまり夫の容姿の良さと妻の浮気しやすさの相関関数も高まっていってるのかも、なんてこともおもったり。
で、本題。
謝罪とかいらないとか不倫とかどうでもいいとか、色々意見はあると思うし、わかるのだけど、
芸能界に限らず、我々の生きる世界では、「イメージ」というものが果たす役割が相当に大きいので、一回バランスが崩れると、おさまるところにおさまるまでしばらくはグシャグシャしてしまうものだと思う。
イメージ世界におけるインフラが壊れたみたいな状況。
アンジャッシュだと、歴史あるローカル線がしばらく運行休止になるくらいのインパクトはあるんじゃないかと(もっといい例えが浮かぶ人いるだろうな)。
そして、このグシャグシャ、インフラの復旧は、どう落とし前つくかが見えなければ見えないほどに長引くし皆が騒ぐ。
イメージの世界で高まってきた「好感」が、「嫌悪感」に変わってしまい、その行き先を求めてわーわーやってるのが今の状況だろう。
好感が高ければ高いほど落差が激しいのでそのイメージに触れてきた人たちはある種ダメージを負っているような状態だろう。心のなかにもやもやしたものがいて、それを何らかの形で解消したいと願うのはある種正常な反応だと思う。
「好き」がひっくり返るというのはそういうこと。
ここでまた最初に戻るが、もし謝罪も、報道も、なんの落とし前的な展開も「いらない」というのなら、(極論ではあるけど)それは、「イメージ」そのものをも否定することだと思う。
イメージを否定するということは、例えば好感とか嫌悪感、想像、妄想などと断絶した世界を生きるということ。
頼れるものは事実と数字とデータのみ、みたいな。
自分にはそういう生き方はいまのところ無理だと思うし、アンジャッシュのコントが好きなので、やっぱり「悲しいな」という気持ちでただ眺めてる。
それしかできない。
そういうもの。
またふたりのコント、観たいんだけどなぁ。
おしまい