新年のご挨拶と、(いまさら)さんまさんの画商プロジェクトが凄いなと思ったハナシ
ある日のホンマでっかTV
シンプルなテレビログ
ささったものは書き残しておきたいなと
少し前のホンマでっかTVを観てたら、
「毎月会うような友人が7人以上いる人は鬱になりやすい」
という研究結果が出てるそうな
要は人間関係に囚われる時間が長過ぎると心の安定がとれなくなるということかと
適正人数は3人くらいらしく
また、一人上手には優秀な人が多かったり、想像力があってクリエイティブな人も多いんだとか
この回では、友達の定義という話をしてて、
友達とは、
「なんの実益もないのに一緒にいたいと思う人」
と植木先生が話してて、説明しやすくていいなと思ったのと、フレンズ(ドラマ)大好きな自分にはわかりみしかなかった
ホンマでっかTVは毎回何気ないところで大事な話をしてる感じがおもろい
あと、キムタクが少し前にホンマでっかも含めて、色んな番組に出てまわってた時期があったんだけど、どの番組でも超絶素晴らしいコメントをシンプルにキメてて「歩く撮れ高」としか思えなかった
他にも、トゲアリトゲナシトゲトゲの話とか、オードリーまわりとか、普段見てていいなと思ってる番組のことはちょこちょこシンプルに書き残しておきたいなー
おしまい
あちこちオードリー(ゲスト星野源) 2021年6月30日
https://tver.jp/corner/f0077793
言わずもがなな傑作回
ガッキーの事を直接訊くくだりは一切ナシ
全て源くんが一人称の話しか聞いてなかった若ちゃんの気遣い
長年の付き合いならではのエピソードトークもあり
刺さった箇所は、
・「らしさ」は俺が握ってるはずなのに、、
・しくじり先生での若ちゃんの姿勢が素晴らしかったと語る源くん
・(多くの人には)伝わらないだろう、わかってくれないだろう、見てくれてないだろう、て思いながら自分の信念に基づいて物事に取り組むけど、伊集院さんと源くんはみてくれている。少しでもわかってくれる人がいたときは本当に嬉しい。
というようなところ
すべてわかりみが深過ぎて観てて泣きそうになった
個人の信念とか、取組みとかって、本当どうでもいいとされがちな世の中だから本当に共感する
さんまさんのこと
久々に書きたくなった
衝動的にブログ書きたくなった
というのも、いかにもはてなダイアリーな(はてなさんすみません・・)、
安全な所から火炎瓶投げつけて燃えたらラッキー、な炎上商法な文章に出くわしたから、、
読んだらさんまさんフリークとして、居ても立っても居られない気持ちになったので、ひとまず書く
書くだけ書いてみる
まず、さんまさんのお笑いっていうのは、
「変わらない」
っていう事であると思う。
「いくつになってもさんまちゃんはさんまちゃんやねぇ」ていう笑い。
あの年齢でも「男」を出して、スケベさで笑いをとったりする。
確かにジェンダーレスになっていってる世間とは逆行してるともみれる。
テレビやラジオにしか出ない。頑なに出ない。
これも時代に逆行してる。
何が言いたいかというと、そういう時代の流れには、歩み寄る部分もあるけど、譲らないところは譲らないから「カッコイイ人だなぁ」と思ってたりする訳で。
そもそもの話で、一つ大事なこととして、
さんまさんと関係者の間では同意がある、ということを忘れてはいけないと思う。
つまりプロレス。
例えば、悪役レスラーが凶器をもって戦うのをみて、「卑怯だぞー!!」と言うひとはあまりいないと思う。
それに対して、いわゆる正規軍は、そういう行為にも「屈しない」ということを体現すべく、リング上の審判に掛け合って反則勝ちをとりにいくのではなく、血を流しながら自分のプロレスを貫いて勝つ姿勢をお客さんに見せている。
つまり、描きたいもののために皆でやってる事な訳で。
モーニング娘。のあのコーナーだって同意がなければ成立しないのでは?
そこまでパワハラが通る世界なのか?
逆にこのご時世で?
これも結局は「そういうプロレスをしよう」て事だと思う。
あんまりこういうのを説明するのって無粋なんでやりたくないけど、そもそもあれは、「色気が無い」とされるメンバーの修行的な前フリもちゃんとあったんじゃなかったっけ?(ここは記憶が曖昧です。申し訳ないです)
このプロレスは、根本には面白いものをつくろう、関わった人も面白くなってもらいたい、という意図があると思う。それはさんまさんの愛だとも思う。
モーニング娘。の子でいえば、握手会などで「ほんとに色っぽくなったね」とファンと絡むネタがひとつは増える訳で。
何かしらの取っ掛かりをつくることをさんまさんは相当な数のタレントと共有してきた歴史がある。
わかりやすいのではハリセンボンの春菜さんとのやりとり。相当な数の人があれで春菜さんを認知してると思う。
(※その手の論客からすると賛否あるようだけど、あれをやり続けてるのは春菜さんの意思でもあると思う。
これは、個別具体のケースを一般化して評価・考えることの限界の話だと思うのだけど、長くなるのでこの話はここで割愛する。)
そして、知らない人は、あれが昔のさんまさんのラジオの有名な企画であったこともわからないのだろうと思う。
最初に書いた、「変わってない」という笑い。
「さんちゃん、まだこんなことやってるの」というメタな笑いをずっとやってるのである。
これは、時代に合わせて自分を変えざるを得なかった普通の人達にとっては、
「なんでこのひとは許されてるんだ」
てマインドになってしまうのかもしれない。
それはわからなくもない。
というかよくわかる。
我々普通の人々は、何かに付けて変わることを要求されまくって生きてる。
そのなかで、時に自分を見失ったり、大きなストレスを抱えてしまったりすることもあるだろう。
だから、変わらない(かのように見える)さんまさんに対して「なんで?」と思うものがあるというのはとてもよくわかる。
でも、逆なのだと思う。
我々ファンが思ってるのは、逆なのだと思う。
なんで、さんまさんのこの笑いが成立するのかというと、
「変わっていってしまう世界の中に、変わらないものを見つけたときの喜び」
だと思う。
そうだとしか思えない。
映画『この世界の片隅に』、ですずに水原が、「普通のままでいてくれ」、というような言葉をかけるシーンがある。
もちろんこれはメタ視点では戦争が異常で、ありふれた日常こそがいとおしいものであることを印象づけるためのシーンなのだと思うけど、
水原個人の感情としては、すずにそのままであってほしい、という願望も多分にあると思う。
こういう願望は、我々のなかに普遍的にある願望だと思う。
昔のクラスで元気だったひとが今も元気でいてくれると嬉しい。
クラスのマドンナが今もかわいいし幸せそうだとなんだか嬉しい。
そういう感じ。
そして、その変わらないものを貴重なことだと思っている。
大事にしたいと思ってる。
だってそこには、自分たちが愛していたものが詰まっているから。
自分の生きた証のようなものでもあるから。
ファンとさんまさんの間にある感情は、
ちゃんと言語化しきれているかは不安だけど、そういうものではないかと思う。
少なくとも自分はそう。
こんな事を書いたところで大勢が変わることもないだろうし、ハロプロさんはかなりモラルのある会社と認識してるので、ラジオのコーナーもこのあと突然終わるかもしれない。
でも、書けてよかったなと思う。
さんまさんのことを知らない世代からすると、さんまさんは最初観た時から司会のポジションにいて、好き勝手しゃべっていて、というような感じに見えるだろうと思う。
だいぶハイコンテクストな存在になってしまったのは否めないと思う。
一個一個紐解いていかないと、なんで今のさんまさんが在るのか、ということに合点がいかないこともままあるだろう。
わかりやすそうな話で、さんまさんのWikipediaを観たことがあるだろうか?
とんでもない分量で、こんな分量のあるタレント、他にいないんじゃないかと思う。
それだけ色んな人の注目の中で歴史を重ねた稀有中の稀有なひとがさんまさんで、繰り返しになるけど、その稀有なことを我々は「面白い」「そのままでいてほしい」と願っている。
よくさんまさんのことを若者に説明するときにシェアする映像がある。
これを見ると、さんまさんがいかにその存在だけで人々の心の支えになっているかがわかると思う。
自分はこれを見ると笑いながらも、だんだん泣きそうになってしまうことさえある。
でも、これは、勝手にそうなった訳じゃないし、有名な人だから、とかのバイアスで人々が洗脳されてる訳でもなく、
さんまさんが毎日毎日人々を笑わせて、嫌なことも一緒に笑い飛ばしてきた歴史があるゆえのものだと思う。
テレビと現実の世界は繋がっていないと思えることもあるだろうけど、自分は繋がっていると思う。
「さんまさんに助けられた」って人、本当にめちゃくちゃたくさんいると思う。
なんだかまとまらなくなってきちゃったけど、少しでも届けばいいな。
おわり
ホンマでっかTV 怖がり特集にて 2020/8/12
先日この録画を観てて、
こわがり、のメカニズムみたいな話が面白かったのでメモしとこうと。
〜番組の大筋はこちらのブログさんをご覧になるとよいかと思います〜
【ホンマでっかTV】怖がりな人の人生相談!吉田沙保里さん・那須川天心さんの悩みを解消(8月12日) | NEWS123
個人的にささったのは、
・怖がりの人にとっての怖さは音
人間は大部分を目からの情報に頼って生きてるので、目に見えてないけど何か音がなった、という状況に出くわすと情報処理ができなくなって、怖さを覚えるということなんだそうな。
・怖がりの人で幽霊を見る人は少数派
怖がりで幽霊なんて見たくないなぁと思ってる人には幽霊は見えず、
見てもいい、何なら見てみたいっていうマインドのある人のほうが幽霊を見る
つまり信じない者には見えないし、信じる者には見える
・トイレをあけっぱなしにするのは怖いから
こういうひとがいるというのはたまに話を聞くけど、なんでこういうことをするのかなって思ってたんですが、そっか、怖いんだ、と。
あの吉田沙保里でも夜一人でいる時は怖いのでトイレを開けっ放しにしていると思うと凄い話だと思いませんか。
・トキソプラズマの話
猫の糞に含まれるトキソプラズマという物質に感染すると恐怖心がなくなっていくという研究報告があるんだそうな、、!
そんなのなにも知らなかったー(猫人間という設定なのに)
猫が人類を支配してる説みたいなのをネットとかでたまに見かけたけど、あれはそういう文脈からきてたのかなとか今気づくという。
といったところですかね。
なかなか好きな回でした。
さんまさんの番組はこうやって書き残していきたいな。
おしまい
渡部さんの件と不倫報道の是非のはなし
もう渡部氏の件で今日はもちきり。。
びっくりした。。
そんな中で
「佐々木希がいるのに浮気するなんて!」という声があるが、善悪は別として佐々木希と結婚できるような男こそ浮気しやすいに決まっているので全く意外な事態ではない。妻の容姿の良さと夫の浮気しやすさの関係のデータを取ったら正の相関が出ると思う。
— ystk (@lawkus) 2020年6月9日
このツイをみて、
たしかに統計とかとったらそうかも、とか冷静に考えてしまった。
でも今の時代は女性も強い人はとことん強い立場にいるので、たぶんこの逆、つまり夫の容姿の良さと妻の浮気しやすさの相関関数も高まっていってるのかも、なんてこともおもったり。
で、本題。
謝罪とかいらないとか不倫とかどうでもいいとか、色々意見はあると思うし、わかるのだけど、
芸能界に限らず、我々の生きる世界では、「イメージ」というものが果たす役割が相当に大きいので、一回バランスが崩れると、おさまるところにおさまるまでしばらくはグシャグシャしてしまうものだと思う。
イメージ世界におけるインフラが壊れたみたいな状況。
アンジャッシュだと、歴史あるローカル線がしばらく運行休止になるくらいのインパクトはあるんじゃないかと(もっといい例えが浮かぶ人いるだろうな)。
そして、このグシャグシャ、インフラの復旧は、どう落とし前つくかが見えなければ見えないほどに長引くし皆が騒ぐ。
イメージの世界で高まってきた「好感」が、「嫌悪感」に変わってしまい、その行き先を求めてわーわーやってるのが今の状況だろう。
好感が高ければ高いほど落差が激しいのでそのイメージに触れてきた人たちはある種ダメージを負っているような状態だろう。心のなかにもやもやしたものがいて、それを何らかの形で解消したいと願うのはある種正常な反応だと思う。
「好き」がひっくり返るというのはそういうこと。
ここでまた最初に戻るが、もし謝罪も、報道も、なんの落とし前的な展開も「いらない」というのなら、(極論ではあるけど)それは、「イメージ」そのものをも否定することだと思う。
イメージを否定するということは、例えば好感とか嫌悪感、想像、妄想などと断絶した世界を生きるということ。
頼れるものは事実と数字とデータのみ、みたいな。
自分にはそういう生き方はいまのところ無理だと思うし、アンジャッシュのコントが好きなので、やっぱり「悲しいな」という気持ちでただ眺めてる。
それしかできない。
そういうもの。
またふたりのコント、観たいんだけどなぁ。
おしまい
「あざとい」について考えてみた
オンライン鑑賞会
ちょいちょい友人たちとオンライン鑑賞会をやる機会が増えてまして、バラエティ番組をよく観ています。
あざとい、てなんだろう
これも重要な要素だと思います。