つれづれぐさ

つれづれなるままに。

実効再生産が0.99に。。

コロナに関しては東洋経済のサイトをよくみてます。

https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19

 

ここにある実効再生産数。

この数値が1を越えると拡大傾向、1を下回ると縮小傾向となる指標です。

このところ、数値がどんどん1に近づいてたので動きたくとも動けないだろう、という感覚でいました。

 

数値はどんどんあがり、0.99となってしまい。。

 

このコロナウィルスの厄介なとこは、自覚症状が無いという事で、自覚症状がなかったら自己責任も何もとりようがない、と思うのです。

オーバーめな例えですが、車に乗る人が自分が酔ってるか酔ってないか判断出来ない、と例えるとかなり怖い話です。

 

そこから先は、それぞれが「不要不急」ということにどう向き合うか、の話になりますね。

 

自分にとっては先延ばしもできないし、不要とは思えない事にはなるだけ関与をするつもりなのですが、

感覚的に言うと、銃をもっていて、その限りある弾丸をいつ撃つか、をマネジメントするみたいな感じで、節操なく撃ちまくったら自分も感染して詰む、みたいなルールを設けてます。


、、ってこれ、

いまラスト・オブ・アスというパンデミックがテーマのゲームをやってるので、

まんまその話をしてただけみたいな感じになってる。。

https://youtu.be/U-VLm0Vtu2E

 

 

てことで(色んな意味で)まだおうちエンタメ生活続きそう。。

 

おしまい

渡部さんの件と不倫報道の是非のはなし

もう渡部氏の件で今日はもちきり。。

びっくりした。。

 

そんな中で


このツイをみて、
たしかに統計とかとったらそうかも、とか冷静に考えてしまった。


でも今の時代は女性も強い人はとことん強い立場にいるので、たぶんこの逆、つまり夫の容姿の良さと妻の浮気しやすさの相関関数も高まっていってるのかも、なんてこともおもったり。

 

で、本題。

 

謝罪とかいらないとか不倫とかどうでもいいとか、色々意見はあると思うし、わかるのだけど、
芸能界に限らず、我々の生きる世界では、「イメージ」というものが果たす役割が相当に大きいので、一回バランスが崩れると、おさまるところにおさまるまでしばらくはグシャグシャしてしまうものだと思う。


イメージ世界におけるインフラが壊れたみたいな状況。

アンジャッシュだと、歴史あるローカル線がしばらく運行休止になるくらいのインパクトはあるんじゃないかと(もっといい例えが浮かぶ人いるだろうな)。

 

そして、このグシャグシャ、インフラの復旧は、どう落とし前つくかが見えなければ見えないほどに長引くし皆が騒ぐ。

 

イメージの世界で高まってきた「好感」が、「嫌悪感」に変わってしまい、その行き先を求めてわーわーやってるのが今の状況だろう。

好感が高ければ高いほど落差が激しいのでそのイメージに触れてきた人たちはある種ダメージを負っているような状態だろう。心のなかにもやもやしたものがいて、それを何らかの形で解消したいと願うのはある種正常な反応だと思う。

「好き」がひっくり返るというのはそういうこと。

 

ここでまた最初に戻るが、もし謝罪も、報道も、なんの落とし前的な展開も「いらない」というのなら、(極論ではあるけど)それは、「イメージ」そのものをも否定することだと思う。

イメージを否定するということは、例えば好感とか嫌悪感、想像、妄想などと断絶した世界を生きるということ。
頼れるものは事実と数字とデータのみ、みたいな。

 

自分にはそういう生き方はいまのところ無理だと思うし、アンジャッシュのコントが好きなので、やっぱり「悲しいな」という気持ちでただ眺めてる。
それしかできない。

そういうもの。

 

またふたりのコント、観たいんだけどなぁ。

 

おしまい

「あざとい」について考えてみた

オンライン鑑賞会
ちょいちょい友人たちとオンライン鑑賞会をやる機会が増えてまして、バラエティ番組をよく観ています。
男女混合のグループなこともあって、特にZOOMとかは使わず、LINEのグループ通話機能を使って繋がって、皆でそれぞれの再生環境で「いっせーのせ」で再生して観ています。
このやり方だと女性陣はお化粧やら家の中を映すなどのリスクを負う必要もなく、煩わしさがだいぶ緩和されるようで、楽しくトークしてくれています。
 
その中で、「あざとくて何が悪いの?」という番組が大ヒットしました。
ちょうど最新放送の前に前回放送を再放送してくれていたので、皆すぐに馴染む事ができました。
 
田中みな実という稀代のモンスター女子(めちゃ褒めている。本当に素晴らしい所作。完成された美しさがある。)に、
みな実とはまたベクトルの違う感じのあざとさを持ち合わせる弘中綾香
そして山ちゃんの見事なツッコミが冴え渡りまくる、近年の企画モノバラエティの中でも凄くいいフォーマットだなぁと思うナイス番組です。

~あざとくて何が悪いの?については以下などを~

twitter.com

 
あざとい、てなんだろう
で、観終えたあと、メンバーでずっと恋愛トークしながら深夜までいってしまうんですけど、
そのなかで「あざとい」ってなんだろうっていうのを、ちょいちょい考えたり、皆とトークする中で何となく見えてきたことを箇条書きで書き残してみようとおもいます。
 
・被害者の会ができるもの
これは凄く的を射ているなと感じます。
素直に信じて痛い目に遭ってしまうひとが何人も生まれるもの、または、それが予想されるもの(ここ結構重要)をいつしか自分は「あざとい」と呼ぶようになっていました。
 
・一見して「餌」もしくは「ルアー」のように見えてしまうもの
「釣ってやるぞ」という意思を相手側から感じる時ですよね。
こういう時、相手の繰り出してくる動作も言葉もすべて「撒き餌」や「ルアー」のように見えてしまう事があると思います。
これもあざとさのでかい要因でしょう。
僕らが求めているのは、自然な対話であって、今どちらが優位かという主導権の握りあい:「政」的なニュアンスの事にはそんなに興味ないと思うんです。冷静に考えたら、ノイズでしかないのではないでしょうか。
 
・本人は特別な意思の下にやった訳ではなく、なんなら「置きに行っている」
これも重要な要素だと思います。
ボディタッチとか、褒め言葉とか、反射神経的に出る人達がこの世界にはいるんですよね。
あざとい側じゃない人がよく勘違いしてしまうのは、「これはよほどの思い切りや勇気がないとできない」と自分が感じていることを相手がやってくれるので、それを嬉しいと感じてしまう事だと思うのです。
違うんです。
当の本人は呼吸をするようにできてしまうんです。
何も考えてないって事が大半だと思います。
でもあざとい側じゃない普通のひとは、それを特別な事だと受け取ってしまうんです。
このすれ違いが沢山の悲劇を生んできた事と思います。アーメン。
 
・かわいくない、許せないもの
結果、これですよね。
最終的に、あざとさをまともに喰らわされた人は、そのひとのために貴重な人生の時間を浪費させられ、場合によってはお金も使うでしょう。。
それを「まぁ仕方ないか」と思えるものはギリギリ「あざとい」とは言わないものになるのだと思います。
あと、「かわいくない」と表現しましたが、これもキモだと思っていて、あざといものは表面的には「かわいさ」を纏っている、かわいさの皮をかぶっているものが非常に多いと思います。
なので、最初はかわいいなぁと思って入って、結果「いや、かわいくねぇわ」となるものの事を「あざとい」と呼ぶのだと思います。
 
・許されている感じの「あざとさ」もある
基本的には「むむむ・・」という反応を生むであろう、あざとさなのですが、
「仕方ないなぁもう」って許されているあざとさも存在しているのもまた事実です。
田中みな実も、弘中綾香も、あざといところがあるからって嫌いになったりしませんよね?
どうやら、突出して可愛い女子が見せるあざとさは「まぁこの子は仕方ないか・・」で済ませられるケースがあるようです。
そういうグレーゾーンが生まれることによってこのお話が物凄く面白いことになっているのだと思います。
ちなみに、自分は、「可愛いからって許されると思わない方がいいんじゃないかなぁ・・」という側のタイプ。つまり酷い目に遭った、遭いそうになったことがあるってことですね。笑
 
・・以上、研究の成果の報告でした。笑
 
なかなか真理に迫れているのではないかと思うのですがこれいかに。
 
あざとい、を振り回すひとは一周まわって面白い
で、これを書いたのはあざとい女子に怒っているからなのか?という事なんですけど、全然違うんです。 
今日もどこかで可愛い女子があざとさという武器をブンブン振り回してるのかなと思うと、もう逆に笑えてくるのです。
画で想像してみてください。
「あざとさ」て書いてある鎖鎌みたいなのをブンブン振り回してる鬼のような画とかを想像するといいと思います。(絵が描けないのが悔しい。伝われ・・!)
プライベートでもたまに遭遇してますが、嫌悪感より、もう笑いが込み上げてきてしまうのです。
「おいおい、振り回すな振り回すな、その鎖鎌を」と心の中でツッコミながら応対してしまう。
 
 今回この記事を書いたのは、この「笑い」の感覚を誰かと共感したくての事でした。
めちゃくちゃ面白いと思うんですよね。
 
で、じゃあどうしたら「あざとさ」を見抜けるだろうか?という事なんですけど、
またそれも皆とトークしたりして何となくでも答えが見えた時にこの記事へのアンサー記事として書いてみようと思います。
 
つづく・・?

ニッポン放送「あなたとハッピー」電話相談コーナーにて 2020/5/14

最近よくラジオを聴いてます。

オールナイトはちょいちょい聴いてたけども、いわゆる帯番組的なのにも手を出しました。

ニッポン放送とTBSがお気に入り。

 

で、本題。

今日の電話相談コーナーが素晴らしすぎて震えた。。
相談者は夢が叶わないと思えてきて生きる希望がなくなったという26歳の女性。


歌を志して事務所にもいたけど、だんだん辛くなって体調もよくなくなってきて、何もできなくなり、何を観ても何も感じないし、次第に「一部の人だけお金をもらってる世の中自体が嫌になって生きる気力もなくなってきた」という。


声を聴く感じ、アニメ〜アイドル系の領域のタレントさんを志望される感じかなとおもった。

とてもかわいい声をしている。
でもとにかく声に元気がない。

 

パーソナリティー柴田理恵さんと作家の三石由起子さん。

ふたりの回答が素晴らしかったのでおもわずメモしてしまった。

箇条書き的に書くと、
「心を閉じていると何も見えない」


「知識がないと、人間遊べないの」


「遊んでると楽しくなるでしょう、楽しくなるとひとも寄ってくるのよ」


「あと半年しか家賃持たない?その期間、遊んでみたら?いいじゃない、人生にそういう時間があっても」


「あなた歌をやるの? 私もクラシックのイタリア歌曲を40年くらい?教わってるのよ。クラシックはマイク使わないし、恋の歌ばかりだから半端な気持ちじゃ歌えない歌ばかりで、終わると物凄い疲れるけど心地よい疲れなの。安く教えてくれるひともいるかもしれないから探してみるといいわ」


「どんな音楽が好きなの?ロック?ロックが好きなら、たくさんライブの映像観るといいと思う。(そもそもそういう音楽じゃない?てニュアンスで)」


というような話を聴いていくうちに相談者さんの声がどんどん明るくなっていく。
最後はとても前向きな感じになって電話が終わる。

なんて簡潔で、論理的で、素晴らしい回答なんだろう。

 

特に、「遊ぶにも知識が必要」てところに同意で、

知識って増えれば増えるほど、それを題材に色々遊べると思うし、やりたいことがどんどん増えていく。

そのやりたいことが増えて処理できなくなるくらいになると、「死のうとか考えるのがアホらしくなる」という状態になると思う。

 

ラジオ相談コーナー、すごく好きなのだけど、

これに限らず、ラジオにはいまを生きる人たちのリアルな声があふれてて、聴いてると、「だよね、うんうん、わかる」って感じる瞬間が一日に何度もある。

そういう日々のほうが、なんだか好きだなと思って。

 

今日からラジオってカテゴリも増やしてみました。

また何か書けるかしら。

 

「リスペクト」とか、「ピンチをチャンスに!」とか・・

・・いやはやコロナ、大変です。

大変ですよね。

自粛生活は苦じゃないし、これまで触りたくても触れなかったものに触れて面白いなと思える部分もあるにはあるけど、エッセンシャルワークに携わる皆さまは何をどう考えても大変だと思います。

家の中にこもりきりですが、皆さまへの敬意は忘れないでいたいと思います。

 

医療関係でご尽力される皆さま、お米を作ってくださる皆さま、運送業に関わる皆さま、、本当に本当にありがとうございます。

 

ところでバンクシーの最近描いた絵を皆さんご覧になりましたか。

 

これなんですけどね。

www.instagram.com

https://www.instagram.com/p/B_2o3A5JJ3O/

 

これを各新聞社が看護師さんたちへの感謝の意を表してるとか報道してるんですけど、

凄く疑問です。

もしそうであれば、子供の表情をもう少し描きようがあるように思う。

バンクシーは笑顔の作品あんまりないように思うけど、ここぞとばかりに笑顔を描くんじゃないかとか思うし、もし大切に扱う姿勢を見せるなら抱きかかえてみせたり、何らかの大事そうにしている様子を描くように思っていて、遊んでいる真っ最中の描写にはしないんじゃないだろうかと思うのです。

これは、ネットでも何人かの方がご指摘されているように、

「看護師をヒーローとして取り上げることで、おもちゃのように扱っちゃってないかい?」てメッセージに思います。

 

自分には看護師の知り合いが数名いて、彼ら彼女らが時折、現場で出会う患者にひどい扱いをされることもあるとききます。

「こんなひとたちのために感染リスクとか、対処に対する責任背負いたくないかも・・」ていう事を彼らに言わせてしまうのがとても悲しいです。

どうかそんな事を彼らに言わせないで欲しい・・。

 

エッセンシャルワークに携わる人はコロナ以前からヒーローですよね。

あまりにその尊さに皆が慣れ過ぎていたということに思います。

いわゆるお仕事ドラマが果たしてきた役目というのは、「当たり前じゃねぇぞ!」て事を大衆に理解してほしいという事に思っていたのですが。

 

また、自分はお米が本当に大好きで、お米がないと困ってしまう生き物なのですが、コロナになる以前から農業の人達への対価が安過ぎる気がしています。

どんなWebサービスやアプリケーションよりも動画よりもお米が自分にはありがたいです。

今回多くの人が感謝をしていると思うのです。

食料自給率の問題も含め、農業に活性化してほしいなと感じました。

 

そしてついこないだまでヘビーにDeath Strandingをやっていた事もあるし、友人にも運送業に携わる人間はいるので運送の方の事はとても気になっています。Uber Eatsも含め物を届けるっていうのは本当尊いことですね。

感染のリスクには皆さま本当にお気をつけて。

 

で、そういう皆さまへのリスペクトというのはですね、

やっぱり「形で示すものではない」ってことなんだと思うんです。

姿勢で示したいなと思うんです。

 

自粛しとおすことで医療関係への負担を減らす、だとか、

お米が好きな自分は色んなお米のお取り寄せなんかもやってみましたし、

運送業の方に関しては、物の受け取りの際に、「ありがとうございました」て言うだけで全然違うと思うのです。
(※ナイナイのANNでやべっちが「ありがとうチャンス」を逃すと「しまった!」て思うって話をしてましたね。あれはいいなと思いました。)

 

この世界に必要なのは、「こういう風にしましょうよ」とかいう押し付けではなくて、

それぞれがそれぞれにふつうにもっているリスペクトを、それぞれの等身大のサイズでいいので表現できるように、ということだと思います。

もちろん、色んな状況があると思います。

人にやさしくできない瞬間もあると思うのです。

そういう時は、なるだけ自分のケアを優先したりしながら、やれることをやっていきましょう。

 

くれぐれも、こんな時期に「ピンチをチャンスに!」とかって事を考えすぎないほうがいいと思います。

例えば春ですし、出会い系コンテンツとかが盛り上がってるときくんですけど、こんな時期に我慢ができなくてそういうところへ突撃しちゃうようなマインドですから、あんまりいい出会いになるのかなぁと心配にもなります。そういう我慢ができないマインド同士なので、マッチングの観点からするとおあつらえ、という事にはなるんですけど、本当にそれでいいですか?とだけは言いたい。

他にも、動画を作るんだ!て意気込んで頑張っている人たちもいますが、内容にだけは注意をしていただきたいです。ビュー狙いで炎上するようなヘイトを垂れ流してみたりとかそういう事だけはやめてほしい・・。

 

また、火事場泥棒が増えていると聞きます。

自分の大事にしている飲み屋街で集団窃盗グループの犯行と思われる空き巣犯罪が起きました。またお寺では賽銭泥棒なんかも。

「なんだってこんなときに・・!」という怒りを禁じ得ないのですが、これも「ピンチをチャンスに」とかいうことを曲解した最たるものだと思います。

お気をつけください。

 

それまでも日本はじわじわ進んでいましたが、コロナによって加速的に分断が起きています。

できる限り連帯していきましょう。

何もネットの世界がすべてではありません。

友人とは電話で情報交換等していきましょう。

オンライン飲み会、とてもいいと思います。

テレビもいいですけど、ラジオはもっといいですよ。危機感煽ってなくて。

 

本当は呑気に観た映画の話とかここでしていたいんですけど、憎いコロナのあんちくしょうのせいで、そういう気分にもなかなかなれません。

 

いずれ訪れる新しい日常のためにできることを。

 

おしまい

コタキ兄弟と四苦八苦 第4話

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~公式サイトより~

4話はこれまでこのドラマを観てきた中で一番ささった回でした。

 

なにかと手厳しい須弥子

あなた方はこの仕事を恥ずかしいと思っているんですか?

わたしは恥ずかしいレンタルおやじを呼んだの?

 冒頭からふたりに手厳しい依頼主須弥子。

 

 終末論

死ぬのよ

あと3か月したら世界が終わるんだもの

須弥子の羽振りの良さから、二路は須弥子はあと3か月で世界が終わるという言葉を信じてすべてを投げうった、終末論者なんだろう、と言い出す。

ここの一連のくだりはなんだか面白い。

ノストラダムスの大予言を思い出すなぁ。

「なにろう」って兄弟の事を呼ぶところもおかしみがある。

 

どうしてあたしだけ

私が過去に誰かを傷つけて、すごーく傷つけたとして、

その罪で病気になったんだとしたら、やりきれないじゃない?

だったら、あの水晶の罪がいいわ

どうしてあたしだけ、世界から消えてしまうんだろう

須弥子は終末論者などではなく、病気でこの世を去る事を悟った人だった。

色々手は尽くしたけど、もうだめで、色々なものを引き払って最後の時間を療養所で迎える事にし、そこでの時間をレンタルおやじ兄弟に付き合ってもらおう、という事だった。友人に会っても、弱っていく自分を観て悲しい気持ちになるだけだから、ということからのもので、ここで一気に「須弥子さん・・!!」ていう感情が沸き起こってくる。

↑の台詞はある日、須弥子がふたりにした昔話から。

学校にあった水晶を盗んでしまって、でも手に入れたらキレイに感じなかった。そして怖くなって海に証拠隠滅で捨ててしまったという。

もし何かの因果で病気になったというのなら、その罪であってほしい、と。


ここはいくつか見方があると思う。

 

ひとつは、須弥子は実はめちゃくちゃいいひと説。だって最期を看取るひとの苦労を慮ってレンタルおやじを頼んじゃうような人なんだから。

表面上はそう見えなかったのかもしれないけど、周りに気を遣って、善行を心掛けて生きてきた人なんじゃないだろうか。そういう人間が思い当たる、罪らしい罪が水晶の件だった、という見方。

もうひとつは、冒頭のキャラクターどおりの気丈なひとだった説。かなり強い圧で色々二人に接するあの感じからすると、誤解を受けやすい人だったのかもしれない(という深読み)。

水晶の罪であってほしい、というのは、他にも思い当たるフシがめちゃくちゃあって、でも、裁かれるなら水晶の罪ということにしてほしいという願いのようなもの。

ふたりを雇ったのは、最期を知り合いの誰かに見せたくない、彼女の美学であるという見方にもなるだろうか。

自分は前者でいきたいなと思ってこの物語を眺めていた。

 

(※後者の説は今書きながら思った付け足しみたいなもの)

 

ナニナニブラザーズPRESENTS 世界の終わりを語るナイト

須:・・要するに、人類も地球も、何度も滅びるのね

弟:そうだよ、大忙しだよ

兄:我々皆いつかは滅びる 滅びる日に多少の誤差はありますけども・・

ここが凄くいい。

オカルト話を一生懸命話す兄弟は一見間抜けなんだけど、だからこそふたりの想いが伝わってくる。

前半でコメディ要素として出てきた終末論がここで活きてくる。

そして場面転換。

 

 お別れの会にて

香典はお断りします。

どうぞご自分の為にお使いください。

皆さま、一足お先に失礼します。

島須弥子

いきなり場面はお別れの会に。

集まった人たちが泣いている。

この「どうぞご自分の為にお使いください」て文章も友人への慮りなのかなと思えるし、お葬式という文化への皮肉のようなものにもとれる。こういうところに須弥子という人物の人となりが表れている。

 

須弥子の本意

嫌われてるくらいがよかったのにって。

兄弟は外でムラタと話をする中で、須弥子の本意のようなものを知る事になる。

別れるのがつらくなるから、嫌われているくらいの関係性のほうがよかった、とムラタに語っていたことと、海洋散骨への想いを口にしていたことを知る。

 

ナニナニブラザーズ後の須弥子の笑顔

一路も、二路も、馬鹿ねぇ・・

と言いながら笑う須弥子。

「なにろう」ではなく、ちゃんと名前を呼ぶ。

ここで「うぅぅ」といった感じで泣いた・・。

 

おわりに

4話はここまでこのドラマを観てきて、一番感情移入しました。

ので、書き方に悩んでここまで引っ張ってしまいました。

 

今回のように、レンタルおやじだからできること、まだまだあるような気がしてきますよね。

 

そうそう、スタレビの「ちょうどいい幸せ」MV公開しましたね☆

www.youtube.com

根本さんの歌が沁みます・・。

 

そして続く5話はおやすみさせていただきます。 

 

明日の放送も楽しみにしています。

それではまた~。

 

おしまい

 ◆過去記事はコチラ

kotobaokiba.hatenablog.com

kotobaokiba.hatenablog.com

kotobaokiba.hatenablog.com

 

コタキ兄弟と四苦八苦 第3話

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~公式サイトより~
悩める相談者坂井君

坂井君:

モテるってそんなに偉いんですか

モテたら人間が上なんですか

人に・・「キモい」とか平気でそういう事言って・・

ショックで・・「キモい」って言われて・・苦しくて・・ずっと・・惨めで・・自分には価値が無いって思えて・・

変だよ・・モテなくたって・・

相手がいないと一人前じゃないみたいだ・・

そんなの・・

 

さっちゃん:

でも、さかいくんには多田さんがいるよね?

 

坂井君:

断ります。AもBも断ります。

デートなんてしません。

僕が証明します。

女なんていなくても、ひとりで立派に幸せになれるって。

僕の人生で証明します。

 弟に責められる兄を見ているうちに、色んな想いが高まって、デートをしないと言い出す坂井君。ここ凄くいい。あいのりを見ているような気分だった。

モテ教

さかい:彼女がいたら説得力ないじゃないですか。

弟:誰を説得するんだよ?

兄:モテ教の奴らだよ、お前みたいな。

・・モテるモテない、イケてるイケてない、関係した女性の数で人の優劣を決めようという風潮だよ!

さかい:そういう風潮に僕らは意義を唱えようとしてるんです!

なかなかの勢力をいまだ保持しているモテ教。自分もこの風潮はヘンだと思う。

感情的に、ではなく、客観的に、論理的にヘンだと思うのだけど、その話は長くなりそうなのでまたの機会に。

 

さっちゃんから坂井君へ

こんなところで人生を決めちゃダメ。

この人たちの話をまともに聞かないで。

こちらの自称モテない一路さん。

現在求職中でやることがなく、毎日うちの店にいらしてます。

こちらの自称モテる二路さん。

奥さんと子供がいますが、離婚を迫られ、マンションを追い出され、十回に居候中のエターナル無職です。

わかりますか?モテようがモテなかろうが、人生上手くいってないんです。

デートするのやめるって言ってたけど、多田さんの気持ちは?

傷つける事にならない?

デートしようって言われて嬉しかったんでしょう?

嫌われたくないから相談しにきたんでしょう?

水族館でも、家でも、どっちを選んでも、二人で楽しく過ごすことが大事なんじゃないかな?

・・パーフェクトなさっちゃんの回答。笑

ちょいちょい兄弟に「いまのひどくないですか?」というような気遣いの台詞を発してきたさっちゃんがここで牙をむく。

 

帰り際

高校の時、初めてデートした子に言われたんです。

デートのあと、LINEで、キモいって。

距離が近すぎたのかな、とか緊張しちゃって話せなかったからかなとか、

根本的に自分もキモいとこあるって思うんで、またそんなふうに・・

という坂井君の言葉を遮って、さっちゃんは、

大丈夫だよ、さかいくんキモくないもん

頑張って

と声をかける。そして握手の手を差し出す。そして、

浮気になるんで、やめます。

と返すさかいくん。

いやーよき。この感じがこのドラマのグッとくるところ。

 


それにしても、初めてのデートで「キモい」って言われたという坂井君。

そのことがひとりのひとの人生をどれだけ狂わせるか。。業が深いぜよ・・。

 

そしてこの「キモい」はさらに展開を見せる。

今回一番心が震えたのは、最後の兄がtwitter的なSNS「ぼやっきー」で自分の名前を検索するシーン。

↓  

兄と婚活ブログとSNS

ぼやっきーの検索結果にて書かれていたのは、生徒と思われるアカウントによる「古滝キモい」という言葉たち。。

これにはまいった。。

さすがに観てて「うぅ・・」という感じの声にならない声が出た。

確かに兄は偏屈なところはあるけど、3話分観てきて、感情移入し、好意を抱いていた。
だからこそ兄の悲しい過去に触れて物凄く苦しくなった。

兄は最後「仕事、仕事が欲しい~」と言って倒れる。

このシーンをコミカルに捉えられた人ってどのくらいいるだろうか?

 

「キモい」

「キモい」っていうワードは、対処のしようがない。

自分も昔異性に言われたことがあるのを思い出した。

仕事をやめて学校へ通うというその子の話を聞いていてるときに、なんか違和感があって、よかれと思って「それはなかなかの決断になるけど、大丈夫?」というような、厳しめに現実的な話をしたところ、
「悩んで迷って弱っている人間に鞭打って、楽しいですか? キモ。あなたのいう事は正しいけど、正しくないの。」

というような事を言われてしまった。

どうやら悩んでいたらしい。

相談に乗ってくれと言われて乗った相談で逆ギレされてしまった。
以来その子とは会っていない。

ただ、そのことにたいして自分は正直なところ、そこまで「悪いことをしてしまったなぁ」とは思っていない。

先に違和感と書いたけど、なんとなく、自分はその判断に迷いがあるように受け取っていた。
迷いというか、"甘え"を感じた。
もはや内容は忘れたけど、誰が聞いても物事の順序がおかしかったり、強めな言葉の割には勉強とかの準備に関しては計画性がなくて行き当たりばったりな感じが見受けられるもので、「本気なのかな?」と思えた。 その支離滅裂な感じの話を聞いて、彼女を応援しようというヤツはただこの子を落としたいだけのクソ野郎だなって思ったのと、
その話を聞いた時点でなんだかこの子に対する興味もなくなってしまい、ここは余計なお世話だと思われようが言うべきことを言おう、と思ってのことだった。
なのでそこに後悔はない。

起きるべくして起きた齟齬だろう。

 

ただ、「キモい」というワードは、なかなかどうして引っかかる。

非常にうまく相手にダメージを与える言葉だと思う。

もう一度書こう。

「キモい」っていうワードは、対処のしようがない。

すこーし傷ついた。

 

さて、↑の文章を読んでいて、なんとなく兄一路のことが想像されなかっただろうか?

自分で読んでてそう思えた。

どうやら自分は兄の言っていることが色々よくわかる側であるらしい。

弟の言うことも全然わかるけど。

 

そして前回2話で出てきた、

「正論だけで済む世界ならレンタルおやじなどいらない」というこのドラマのテーマに、立ち返ろう。

 

あの時の自分は悩める女子に正論をぶつけていたということになってしまったらしい。

とはいえ、いうべきだと思ってやったことの結果なので悔いはないし、

まぁここに関しては、イマイチ先方の求めてる事がわからなかった。

相談したいという割には無策感があったので、「なんだこのひと」ってなってしまったけど、単純に仲良くなりたくてした話だったのかもしれない。

こちらはこちらで「その装備、準備で大丈夫?」という、伝えたいことを、しっかり相手の受け取れるような感じでは伝えられず、ただ正論やめれ、といわれてしまった感じで、シンプルにコミュニケーションがうまくいかなかったなぁと。

 

でも、そういう、若さ故の過ち的なものや、いまとなってはどうしようもないものもなんとなく背負いながら人生は進むものなのですね。

 

そしてきょうもまたドラマも進む。

兄が、弟が、さっちゃんが求めるものは、もたらされるだろうか。

先が気になる〜。

 

たまにはビターな文章書くのも悪くないなと思ったのでした。

 

おしまい

 

 ~過去の話はコチラ~

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