つれづれぐさ

つれづれなるままに。

ワンチャン問題

英語を使う人間ではないし慣用表現にツッコミいれても仕方ないのだけど、


Duty freeとかTax freeのfreeの意味はわかるんだけど、

Suger freeとかOil freeとかのfreeはあんまりよくわかんない

 

前者はfreeがもっている「~からの解放」みたいなニュアンスが通っていると感じる
後者は好きにしたらいいじゃん、みたいな話なんで解放も何もないよなとか

(たぶんお店で人が作るものとか、客からするとどうにもならないみたいなニュアンスがあるんだろうけど、嫌なら自分でご飯つくろう、て思ってしまう)

 

 

で、これがいわゆるワンチャン問題に発展していく

 

「~ちゃん、ワンチャン誘ったらきてくれるかも」のワンチャンはわかる

けど、

「ワンチャン俺死ぬかもしれないわ」のワンチャンは意味不明

 

だってチャンスじゃないから(!!)

 

ワンチャン~って言い方自体そんなに親しみもない中で、使っている人もまぁまぁいてるのである程度迎合している感じなのだけど、

 

チャンスじゃないのにワンチャンを使っているケースだけはどうにも我慢ならない

 

要は「もしかして」を「ワンチャン」に機械的に置き換えてるものと思われて、

こういう言葉を何の疑いもなしに使っているその言語感覚を疑ってしまうのである

 

言葉というのはとても重要で、普段使っている言葉は確実にその人の行動や哲学に影響がある

使えば使うほど脳に身体に刻まれると捉えていいと思う

 

だからこそヘンな言葉を脳に刻みたくないと普段から思っている自分みたいな人間からすると拒絶反応を起こしてしまう

 

でも、多くの人はこんなこと、めんどくさいって考えないんだろうか

 

縁あってこれを読まれているアナタはいかがですか?

 

おしまい

最近のアナザーエデン 20220609

 

実はずっとスマホゲームのアナザーエデンをやっています。

この手のゲームっていうのは据え置きと違って、

いつか終わってしまうだろうという前提でやっているので、

どこかにプレイしたことを残しておきたいなとずっと思っていて、

はてなブログに書くのが一番いいんじゃないかというので定期的にやっていこうと思います。

 

てことで、

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今日はアルマをお迎え

 

自分の攻撃属性を相手の弱点にしてしまうという凶悪なスキルを持っているキャラクターというのでガチャをぶん回してしまいました

 

このゲームを共有するにはどこまでやってるのかがかなり大事なので、それを書いていきましょ

ストーリーは最新までクリア済

最近はアザミとガリユの真顕現をクリアして、アザミのASイベントをクリアというのが目立ったトピックかなと

 

いまはアルドの天202/255なのを頑張りちう

 

あと現時点でできていない、半端なままで終えているものというのを羅列していくと、

廻生色々中途半端(つい昨日斬煌陣とった)

トトシアターワールド秘密の工場以降

クロノクロスコラボ報酬未コンプ

テイルズコラボ報酬未コンプ

ペルソナコラボ報酬未コンプ

未来のオンラインゲームの報酬未コンプ

釣り未コンプ

銛未コンプ 深淵未コンプ

ラヴォージャ倒してない

防衛戦未着手

メビウスの迷宮未クリア

アルバイト未着手

煉獄の幻獣の影倒してない

キュリオ武器イベント未コンプ

 

たぶんまだあるので追加してきましょ

 

お気に入りキャラは、たくさんいるのだけど、

サイラス、イスカ、ハーディー、セティー、ベルトラン、ミーユ、異デューイ、シェイネ、シュゼットあたりかな(たくさん

 

そのへんも後日ひとりひとり書いてもいいのかもしれない

 

ひとまず書き始めたということでまた今度☆

 

新年のご挨拶と、(いまさら)さんまさんの画商プロジェクトが凄いなと思ったハナシ

新年明けましておめでとうございます。
 
以前立てた目標、
図書館がコロナの関係で全然家にいたほうがよくて、いけてません。
 
筋トレは、少しだけ習慣化していて、腕、胸とか肩を中心にやっているのですが、
いまの習慣が横に広がっていって、全身に及んでいくのをもくろんでます。
よくトレーニングしている方々が言っている、「やらないと気持ち悪い」っていう境地にいかないと成功はないと思っています。
 
今年はそれらを継続しつつ、実はMacbook Proを去年買ってたので、Macを使いこなすというのを目標にしたいと思います。
(Macbook買ったぜっていう記事書いたらよかったなー。)
 
てことで抱負コーナーおわり。
以下、いつもの感じのブログかきまーす。
 
今回はテレビログです。
(ここから書き言葉も一人語り調に変わります。)
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年末年始、いろいろテレビみてたけど、
さんまさんの画商プロジェクトが何やら凄いなぁと思う
 
これまで展示会などをやっても絵が売れる事がなかったアーティストさんたちの絵が、何十万という値段がついて売れていき、アーティストさんも涙を浮かべているさまをみていると、
芸術とかにお金を払うっていうのは何だろう?という事をどうにも考えさせられる
 
ちょうどコンフィデンスマンJPの絵画商のお話を年末に観てた(まじで何度観てもおもしろい)こともあって、凄くこの年の瀬で印象に残ってる
 
観ているうちに考えたのは、
アーティストとユーザーが直接つながるよりも、
何か仲介者を通したほうが意味のあるもの、価値のあるものとして受け止められやすいというケースもあるのだろうなということ
 
今回はさんまさんがキュレーターとしてあいだに入っていたり、番組企画というパッケージで届ける事で、一枚も売れる事のなかったものが売れるという現象が起きている
価値がついたとかいうよりも、これまでアートに全然興味がなかった人が多く足を運んだという事がでかいようにも感じる
 
アーテイストさんの涙と、「~に飾ります」と語るお客さんの笑顔をみていて、
このマッチング、めちゃくちゃ素敵だと思う
この現場の多幸感凄いだろうな
こういう現場に居合わせたいな~いいイベントだなぁ
 
また、アートに込められた想いやバックグラウンドを知ると、もうその情報なしではそのアートを観られなくなるってヤスケンさんが話していたのに凄く共感した
 
大いなる余談だけど、
知ることってほんと大事で、
よく「興味ない」っていうひとっているけど、
「知ること」のほうが大事というか、前段にあるものだと思う
(若干鶏が先か卵が先かというような話ではあるけど、、)
 
興味っていうのは、基本多少なりとも自分から踏み込むという事に思う
知るっていうのは、入ってくるものもあるので、受動的でも成立する
そう思うと、知る、のほうがとっかかりやすいと思う
このへんは気が向いたらまた別の記事で書こうかな
 
話を戻して、さんまさんの画商プロジェクト、
きっかけは、番組でさんまさんの脳を検査したときに、科学的にさんまさんに向いている職業が「画商」だったという事から、やってみようってなってて、
もう企画のタネの部分から素晴らしいなと思う
 
願わくば、
形骸化してしまって何の感動も生まないものになったり、
何らかの利権化してしまったり、
盗作とかのトラブルが起きたりすることなく(防ぎようのないものもあるとは思うけど)、
これからもアートとお客さんの幸福なマッチングを続けてほしいなと思います。
 
おしまい

「恋人たち」って何だろう

これはドラマの批判とかではなくて、
ただただ時代が変わったというか、追い付いてきた的な話なんですが、
 
昔のドラマ(2000年代の作品)を観てたら、
 
"今日は恋人「たち」が一緒に過ごすべき夜なんです!"
 
てセリフがあって、
自分はふつうに昔から
「そんな夜なくない??なんで皆一斉にそんなことになるの?」
って思ってたタイプで、
 
いまこのセリフきいて、たぶん違和感おぼえるひと、昔からすると凄い増えたと思う
 
これは、「たち」っていうのがポイントで
 
「恋人たち」ってなに?って凄く思うのですよ
 
単純に、例えば3組のカップルAとカップルBとカップルCがいたとして、
それぞれまったく関係がないし全然成り行きも事情も違うだろう状況なわけで
何をもって「たち」って括れるのかが全然わからない
 
なのに、多くの人が納得して行動していたのが当時から凄く意味不明なわけです
 
たぶん、今ならこの意味不明さは多くの人が理解できると思うのです
 
 
そもそも、「恋人たち」って何目線、誰目線でものを言っているのだろうかっていうのがあるんですよ
 
だって、複数の恋人に関与する存在なんてふつういないじゃないですか
 
いるとしたら、何かの業者でしかないとおもいません?
 
恋人たちって言葉を使うのって、恋人たちを相手にしている業者しかいないとおもいません?
 
なんで業者目線で個々の恋愛のことを考えたり語らなきゃいけないのかっていう、
主語と述語がまったくつながらないヘンな思考に長らく浸かっていたんじゃないかとさえ思ったりするわけです
 
関係ないんですよ
 
クリスマスとかバレンタインとか
 
ふたりの思い出になるべき日っていうのは、そんなこと関係ないんです
 
そんな日がふたりの最高の一日なはずがない
 
そんなわざわざいろんなものが高騰していて予約もとれないような日に、
思い出を残そうとするのって不毛じゃないですか
 
ただふたりでこの日にしようって決めればいいだけです
 
まわりの雰囲気とか、まちの空気感とか、どうでもいいんですよ
他のカップルも楽しそうにしてるから、自分たちも楽しく過ごせるとかいうのは、
確かにあるかもしれない
 
でも、関係ないです
 
そもそも雰囲気があるとこにいかなきゃいけないのでしょうか
雰囲気を借りないと楽しく過ごせないですか?
 
雰囲気ってふたりでつくるものじゃないのでしょうか?
それがつくれないというのなら、ふたりは何なんでしょうか?
 
仕事からの切り替えができないということでしょうか?
であれば、なぜ休日にしないんですか?
 
・・・とまぁ、昔からずっとこの思考をしているので、
クリスマスには縁がないねこさんです
 
クリスマスの楽しみは明石家サンタしかありません
 
明石家サンタ、今年は何が起きるかなぁ 
・・話を戻して、
ふたりにとってベストな日はふたりにしかわからないし
ふたりの中にしかありません
だから特別なんです
ふたりで決めましょうよ
 
クリスマスはふたりの大切な日になることを保証も保障もしてくれないです
もう、そういう時代になっているとおもいます
 
楽しいは、そこにあるものじゃなくて、
未来につくっていくものでしかないはずなんです
 
借り物の楽しさではなくて、
ふたりがいまだからこそ出会える、見つけられた楽しさ
そういうものに向かっていっていただきたいです
 
という、謎の願いとともに駄文を終えます
 
おしまい

自戒を込めて駄文を書く

なんか徒然と書きたいことあったので書いてみる

 

基本ストイックめな人あるあるだと思うんだけど、
色々な条件を同時達成しないとクリアできないような、
ハードモードな事に挑戦してしまいがちに思う

 

または、こんがらがりまくった糸を解くうちに、なんだか達成感を覚えたりしてしまって、
そのことを妙に大事にしてしまいがちに思う

 

逆にいうと、
すんなりと自分のもとにやってきたものとか、
苦労せず手にいれた何かのことを過小評価してしまいがちだと思う

 

でも人生を振り返ってみると、手元に残ってるのって、
案外自分の近くにあったものだったりする事が往々にしてあったり・・

 

それなのに、厄介事を解決するのが、というか、
解決できる自分のことがちょっと好きだったりもするから、
あとあと苦労するかもしれないなとか思ってても、
手にとってしまってみたりする

 

正直、これってあんまりよくないなと思うことがあって

 

この話は、ドラマ「大豆田とわ子」の2話で出てきた、達成感の象徴として出てきた、"イチゴのタルト"の話とは全然違うものだと思う

 

 

 

 

でも何が違うんだろう?

 

 

 

というのがなかなか言語化出来なくて。。

 

で、今いっこ思っているのは、

それは、「レベル設定」なのかもしれない

つまり、やるべきことと、それによって得られるもののバランス設定を、見誤っているかもしれないということ


「あともうちょっと勉強頑張る」と「イチゴのタルト」のバランスは、とてもわかりやすいと思う

でも、こんなかわいいバランスでないモード設定の何かに気づいたら取り組んじゃってるということがあるんじゃないだろうか

そして、バランスがおかしいのに、色々な事情でもう抜けられなくなってるなんて事があるんじゃないだろうか

さらには、損得勘定なんてするもんじゃないよっていう美談もこの世界には沢山あるから、こういうとこで損得勘定してしまうと自己嫌悪に陥ったりなんかも・・

 

むしろ、

「あれ、この感じやばいかも?」って思ったときこそ損得勘定しないといけないんじゃないか?

 

ていうのが今のところの見解で、

ここでいうところの損得勘定は多くの人から避難されるようなものとは異なるというか・・

 

特段なんかがあったわけじゃないんだけど、

達成感とか損得勘定というので考え事をしていたら文章が走り出してしまったというのがこの駄文・・笑

 

(半端な感じだけど)おしまい


懐かしいので貼っておく2話

www.ktv.jp

ある日のホンマでっかTV

シンプルなテレビログ

 

ささったものは書き残しておきたいなと

 

少し前のホンマでっかTVを観てたら、
「毎月会うような友人が7人以上いる人は鬱になりやすい」
という研究結果が出てるそうな

 

要は人間関係に囚われる時間が長過ぎると心の安定がとれなくなるということかと

 

適正人数は3人くらいらしく

 

また、一人上手には優秀な人が多かったり、想像力があってクリエイティブな人も多いんだとか

 

この回では、友達の定義という話をしてて、
友達とは、
「なんの実益もないのに一緒にいたいと思う人」
と植木先生が話してて、説明しやすくていいなと思ったのと、フレンズ(ドラマ)大好きな自分にはわかりみしかなかった

 

ホンマでっかTVは毎回何気ないところで大事な話をしてる感じがおもろい

 

あと、キムタクが少し前にホンマでっかも含めて、色んな番組に出てまわってた時期があったんだけど、どの番組でも超絶素晴らしいコメントをシンプルにキメてて「歩く撮れ高としか思えなかった

 

他にも、トゲアリトゲナシトゲトゲの話とか、オードリーまわりとか、普段見てていいなと思ってる番組のことはちょこちょこシンプルに書き残しておきたいなー

 

おしまい

あちこちオードリー(ゲスト星野源) 2021年6月30日

https://tver.jp/corner/f0077793

 

言わずもがなな傑作回

 

ガッキーの事を直接訊くくだりは一切ナシ
全て源くんが一人称の話しか聞いてなかった若ちゃんの気遣い

 

長年の付き合いならではのエピソードトークもあり

 

刺さった箇所は、
・「らしさ」は俺が握ってるはずなのに、、

 

しくじり先生での若ちゃんの姿勢が素晴らしかったと語る源くん

 

・(多くの人には)伝わらないだろう、わかってくれないだろう、見てくれてないだろう、て思いながら自分の信念に基づいて物事に取り組むけど、伊集院さんと源くんはみてくれている。少しでもわかってくれる人がいたときは本当に嬉しい。

 

というようなところ

 

すべてわかりみが深過ぎて観てて泣きそうになった

 

個人の信念とか、取組みとかって、本当どうでもいいとされがちな世の中だから本当に共感する