つれづれぐさ

つれづれなるままに。

ドラマ「カルテット」(ネタバレ注意でございます)

本当は毎回感想を書きたかったカルテット

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今期ドラマで一番好きだったカルテット(絶賛カルロス中です)。

放送途中からこのブログを始めたこともあって、なんだか中途半端だし、色々な方が素晴らしい記事を書かれているので、最終回を終えてから何か書いてみょう、と決めていました。

ということでやっと書きます。しかもサボっていた分、大ボリュームです。

視聴率と裏腹の「深いささり方」

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自分の周りでも観ていた人は少なくて、僕のゴリ押しとも呼べるオススメで観るようになった人はいましたが、それでも観ていたのは2割位ですかね。

でも、その2割にはとっても深くささっています。

観ている人と観ていない人の温度差が凄くて、観ている側はその温度差すら楽しんでいました。「こんな面白いものを観ないなんて・・」っていう。笑

自分は完全にブルーレイBOX待ちです。オーディオコメンタリーもあるんだとか。色々特典お願いします!笑

もう少し書くと、(後でも同じような話を書きますが、)このドラマの「届け方」に関する姿勢っていうのは、「とにかく多くの人へ」みたいな乱暴なやり方ではなくて、「わかるひとに届いてほしい」という、海に手紙を入れた瓶を流すようなところがあって、個人的には好感が持てます。

ただ、それが従来の「コマーシャル」という概念と相反する部分もあるので、スポンサーからすると賛否あるのだと思いますが。

これはなんかいい解決策ないもんかなぁ・・。例えばブルーレイだとかグッズだとかの収益もスポンサーに還元するとか?(既にやってるものでしょうか。素人意見ですみません。)

そういえばこのドラマの特徴に、ドラマと関係したCMの存在もありましたね。

 

素晴らしき最終回

最終回印象に残ってるシーンは、

・「真紀さんを連れて帰る」のくだり

画的には一番のハイライトかも。全家森ファンがときめきまくっただろうこのシーン。「真紀を挟んですずめを抱く」というのもなんだか象徴的かも。「真紀との関係があって、すずめに出逢えた、好きなれた」的な。そしてそこに加わらない別府というのもまた感慨深いですね。ファンは萌えたのでは。

 

・コロッケデート

すずめの「歩きながらコロッケを食べたら誰だって幸せでしかない顔になります」に激しく同意。笑

「コロッケデートシンドローム」て言葉もなんだか魅惑的。 

 

・コンサートやりましょう

「疑惑の美人バイオリニスト」である自分の話題性をエサに、お客さんを呼んじゃおう、カルテットの夢を叶えよう、という提案をする真紀。そして自分も魔法少女でした、別府ファミリーです、Vシネ出てました、と呼応するメンバー。ここにきて彼らの奇妙な設定がむちゃくちゃ効いてきます。凄い。

そして自分はこれをいまのエンターテイメントなるものへの揶揄でもあると感じました。「コンサートに足を運んでいるのは話題性にひかれてやってきていたりしてて、本質を捉えて楽しんで観ている人は果たしてどれほどいるんだろうか」ていうような。

 

・手紙

世の中に優れた音楽が生まれる過程でできた、余計なもの。皆さんの音楽は煙突から出た煙のようなものです。価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。

私は自分が煙だと気づいたからやめました。あなたたちはなんでやめないんですか?教えてください。意味はあると思いますか?将来はあると思いますか?

 ・・物凄くグサグサと辛らつな言葉を並べた手紙ですね。。

でも、夢を追ってあきらめた経験がある人は、この手紙を書いた人の気持ちもわかっちゃったりするから困ったものなんですよね。。笑

そしてこの手紙を差し出した人は役名として名前が出てきません。つまり「無名の人」という意味なんだと思います。

 

・「こぼれたのかな。内緒ね。」

演目の1曲目は「死と乙女」。すずめと真紀のあいだに共有されたものは何なのか、どこまで深いものなのか。これが最後まできちんと言及されません。後に書きますが、コレがカルテットの特徴的な「仕掛け」です。

僕はふたりは深い深い秘密を共有したんだと思います。いずれ察しのいい男子たちにも伝わることだと思いますが。「おとなの掟」を歌う真紀の表情からもそう思います。

 

・コンサート本番

カルテットが演奏をしている中、沢山の人が途中退席し、でも、残った人は楽しく大はしゃぎしています。普通だったらあんなにあからさまな状況はあんまりなさそうに思うんですが、敢えてわかりやすくしたんだと思います。

これはカルテットというドラマを話題性に引かれて観にきてみたものの、よくわからなくて「時間の無駄だ」として途中で観なくなってしまう人と、退席する人を意に介さず大はしゃぎするファンという構図を示しているんだと思います。こんなことするドラマ観た事ありません。なんたるメタ視点。

そしてこれが先の「コンサートやりましょう」の箇所で出てきた「来てくれた中の誰かに届けばいいんじゃないですか」というすずめの言葉につながります。

そして、そういう姿勢でこのドラマは作られたのではないでしょうか。ほんと凄く好感が持てます。

 

・食卓シーン②

「ここでから揚げ!」て観ながら心の中で叫びました。笑

レモンの罠を攻略する3人。

だがしかし、家森はパセリを乗せていた、、笑

また論争が巻き起こります。でもこれが大事な話で。

家森「パセリがあるときとないとき。ある、ない、ある、ない、、どう?寂しいでしょう? ないと殺風景でしょ?この子達いってるでしょう?『ここにいるよ~』って。食べても食べなくてもいいの。ここにパセリがいることを忘れちゃわないで。」

センキューパセリ。

いつもの会話と言えばそうなのですが、これがあの辛らつな手紙への回答と思われます。

必要ではないかもしれないけど、余計なものじゃない。意味がないわけでもない。ただ、そこにいるだけだっていいじゃないか。

何者でもなくたって、存在してないっていう訳じゃない。

これは、何者かでないと生きていけない・存在を認められないという風潮がある今の社会へのレジスタンス的なお話でもあると思うのです。

こういう話を食卓での会話中に混ぜ込んで、その会話も最後ふざけながら終わっていくという形で表現するのがこのドラマが「オトナである」といわれる所以であり、最高に好きなところです。

 

カルテットの仕掛け:「グレー」がもつ議論活性化作用

ここから少しカルテット全体の話を書いておこうと思います。

カルテットには特徴的な仕掛けがあります。

それは「重要そうな伏線を敢えてグレーなままにする」ということです。

この物語には結末や詳細を描かれない未回収のグレーな伏線が沢山あります。

それぞれの片思いはどうなるのか、関係者たちはちゃんと最後までコンサートに残っただろうか、真紀は父親を殺したのか、保険金はどうなったのか、幹生の空白の1年間、真紀が幹生ファミリーとはハグをしなかった訳、9話の家森の涙の訳、すずめにチェロを教えたおじいさんの話が何だか不思議、すずめの超能力の真偽、そもそも4人が出会ったのはどこまでが偶然でどこまでが偶然じゃないのか、、、

などなど、思いつくだけでもたっくさんあります(書き足りないので追記するかも笑)。

グレーであるということは議論の余地があるということです。

これらはすべて意図的に仕掛けられたグレー爆弾だと思っています。作動したら最後、答えの出ない議論がはじまり、視聴者たちをドラマに惹きつけて離しません。

そして、このグレー部分の答えはそれぞれの視聴者が自分で出すものというように設計されているのだと思います。

そして見事に色々な解釈をしても破綻がありません(たぶん)。

それはこのドラマが一見結論を出すのを放棄しているように見えて、実は緻密で丁寧に作られていたという証拠ではないでしょうか。

 
楽しい楽しい深読みバナシ

そしてグレーであることがもたらすもうひとつの効果が「深読み」です。

いくつか印象的な深読みバナシがあるので書いておきます。

・百合とボーイズラブ

これは確信犯だと思います。家森と別府を名前で呼び合わせ、すずめと真紀もどことなくそう解釈できなくもないし、ありすとすずめの百合シーンは大きな話題にもなりました。

片思いの結末を描かなかったことで、どの線もありえるままにドラマが終わり、恋の行方はファンの妄想にゆだねられた形となりました。笑

 

転ぶシーンが多いけどそれぞれ意味はあるのか

このドラマの登場人物はたびたび転びます。最終回になってやっと真紀が転んだのも話題になりました。これは随所にちりばめられたジブリオマージュのひとつであるという説がありますね。ジブリはその表現力をアピールするために転ぶシーンを入れてたという話ですけども、カルテットはいかに。。

 

「家森=真紀のお母さんを轢いてしまった自転車少年」説

これは物語を大きく変えてしまうような凄い話です。

家森の台詞に「真紀さんはセレブ」や「戸籍売りません」というのが出てきたのと、また家森が貧乏であり、真紀をゆすろうとしていたという過去から出てきた説だと思います。

もしそれが真実だとすると、家森が貧乏なのは保険金の支払と一家離散が原因という事になりますね。真紀との因縁が物凄く強いものになります。そして、9話の真紀の告白のあとの家森の涙の意味が大きく大きく変わります

それっぽく筋道を書いてみると、

真紀の母を轢いてしまった罪悪感に悩みながらも、保険金を請求され、一家も離散した家森。恨みのような感情を抱いて相手方の家の娘の真紀に近づいたが、真紀は戸籍を変え、権利を放棄し、さらには暴力を振るう親を殺していたかもしれない事がわかる。あの真紀の「信じて欲しい」という悲痛な言葉は全く別の意味で家森に響いていて、家森は真紀の置かれた境遇を知り、また、真紀の言葉を信じたくなった。そしてそれを信じるということは、母を亡くされた真紀が自転車少年の罪を許してくれているのを信じるという事であり、それによって家森は涙を流したんじゃないかということですね。

ほんとに凄い話です。でも、そう解釈できるように敢えて伏線を残してあるんじゃないかと思うのです。これも真実はファンにゆだねられることになっているのではないかと。自分の中ではこのドラマ最大のミステリーであり、驚いた深読みバナシでした。

 
その他全体を通して印象に残っているシーンなど

言うまでもなく沢山あります。笑

こちらは詳細を書くの大変なので思いつくままに、箇条書きで。

・毎回の食卓シーン

・ベンジャミン瀧田

・別府弟に頼まれてカルテットを雇った支配人の言葉

・↑の仕事を終えたあとの路上での演奏

・悪女ありす

・すずめとありすの百合のシーン

・ありすの誘惑にものともしないマスター

・父としての家森

・家森の数々の名言たち

・真紀と幹生、と母

・すずめと社長の会話

・たこ焼き

・「人魚対半漁人」と「スターシップ対ゴースト」

・・・むー、まったく書ききれない。。笑

(これまた随時追記するかもです)

 
リアルタイムに観た人たちが一番楽しんだに決まってる

最後になりますが、「よいドラマはリアルタイムに観るのが一番楽しい」というのが成立すると思います。

このドラマはまとめて一気に観るよりも、リアルタイムに追いかけて、フェイク予告にもハラハラさせられながら、毎週あーだこーだ言い合いながら観たほうがきっと楽しいと思います。

こんなに色々考え、色々な気持ちになりながらドラマを観たのは、相当久しぶりでした。

本当にいい作品に出逢えたことをうれしく思っています。

しばらくは余韻に浸りつつ、ファン同士のトーク・議論に花を咲かせたいと思います。

 

そして余談になりますが、本当は「カルテットとラ・ラ・ランド」というテーマでもう少し書きたかったのですが、余りに大ボリュームになりましたのでまたの機会にしたいと思います。笑

初めてこんな大容量の記事を書いたので、話が前後してしまったり、構成も甘くて読み辛い部分も多分にあったと思われます。

ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。