2018 夏ドラマ 雑感[今更感たっぷり]
久々のブログはやはりテレビの話を
別所にて色々書き物をしていたのでこちらのブログを使わなくなってしまっておりました。
久々に書くブログはやはりドラマです。
毎期何となくアタリをつけてドラマをチェックしていますが、今期何となくでいいなと思っていたのが、
「高嶺の花」:野島伸司が大好きなので確実に観ると決めていた
「dele」:役者陣が好き過ぎる
「グッド・ドクター」:あんまり医療モノ観ないのだけど多様性というテーマに惹かれ
「健康で文化的な最低限度の生活」:これもテーマとして面白いなぁと
「ハゲタカ」:たまたま「帰れま10」を観ていて気になった笑
の5作品でした。
「高嶺の花」はやはり最高で、毎回毎回の石原さとみによる、石原さとみだから成立するシーンの連続に目を引かれまくり。彼女の演じる月島ももという女性にものすごく惹かれている自分がいるのですが、世の男性の皆さんはどうでしょうか。
また峯田和伸扮するプーさんのピュアさと、ピュアさだけじゃない不思議な説得力ある台詞も魅力。
他にも千葉雄大の斬新なキャラ(自分にはどうしても久保みねヒャダでのかわいいイメージがあり。笑)、戸田菜穂、芳根京子、笛木優子ら美しい女性陣も、袴田吉彦、吉田ウーロン太らもとてもいい感じにそれぞれの場面の雰囲気を作っています。
特に、華道側のシーンでの緊張感と、プーさんたち側の安堵感の対比と織り交ぜによって話が進んでいく展開が凄く好きです。
何より普段海外ドラマ以外ではラブストーリーは観ない自分が久々にワクワクしながらラブストーリーを観ているのです。ぶっちぎりでオススメ。
「dele」はとにかく菅田将暉と山田孝之のコンビがいい。管田くん演じる祐太郎のキャラ、何か暗い過去もあるみたいだけど、凄く好き。「人を少し優しくさせる」ってめっちゃいいですよね。山田孝之のほうは車椅子のダークヒーロー感があってこれもまたカッコイイ。
そもそも彼らの仕事が「個人が亡くなった際に契約に基づきパソコン等のデジタルデータを処分する」というもので、テイスト的にもアングラな要素を多分に含んだ物語で、高嶺の花が太陽のようなエンタメ感ある作品だとすれば、いい対比で月のような感じで、この2作品が今期の軸だなと思っています。
「グッド・ドクター」は結構万人向けで、正統派ないいドラマだなと思います。上野樹里を久々に観ていて、物凄く魅力的な女優だなと改めて思うところ。
主人公の湊は自閉症でありサヴァン症候群という設定が興味深くて、なんだか観てしまうのです。
また大好き藤木直人が何となくベジータ的な立ち位置(笑)なんだろうなとか思いながら観てます。中村ゆりさんとのカップルという設定はめちゃくちゃいい!笑
他にもハマケン、柄本明等大好きな役者さんがいるのもポイント。
「健康で文化的な最低限度の生活」も万人向け。生活保護制度の周りには色々な問題が
あるのだなぁと具体的なエピソードと共に勉強になる感。
出てきたキャラクターが横のつながりをしていく構成も素晴らしいなと。
ドラマの羨ましいところですね。あんなふうに人とつながっていけたら、それは幸せなことなんじゃないかなぁとひしひし思うのです。
エンケンさん扮する阿久沢が物凄くいい味を出しているいっぽうで、アンナチュラルではぶっとんだキャラだった井浦新がいい感じの善人をやり、おっさんずラブでこれまたぶっとんだ演技をしていた田中圭が今っぽい上司役を演じているのが面白くもあり。
「ハゲタカ」: 半沢直樹、小さな巨人的なテイストのビジネス系ドラマ。いつの日からか自分はこの手のドラマは「遊戯王」とかと同じような"カードゲーム"ものとして捉えて観るようになってしまっていて、あの手この手で目的を達成しようとする登場人物たちには感心するばかり。とにかく彼らが掲げる「正義」が好きで、ハゲタカにおいては、日本の事を思う鷲崎のスタンスが好きなのと彼の私的な復讐の行く末が気になって観ています。
上記以外にも、
サバイバルウェディングや、グッド・バイ等も観ていて色々考えるものはあって楽しいです。
こうやって眺めてみると今期は豊作な気がしています。
まとめて一覧にしてみるのもなんか楽しいですね。
全体を通して思ったのは、
・やはり野島さんは素晴らしい
名作「世紀末の詩」を彷彿とさせるメッセージ性にヤラレまくっています
・夏なのに浮かれた感じの作品がない
ドラマでそういうのを表現するよりも、Youtubeとかのほうにそういうのがシフトしてる感
・フジがドラマで盛り返しつつある感
全クールの「コンフィデンスマンJP」は大大大好きなドラマでしたが、グッド・ドクターも絶妙な配役で、若者~大人まで楽しめるいいドラマを作っているように思います。
といったところでしょうか。
本当豊作なので、毎週のドラマの消化が大変です。笑
普段あんまりドラマを観ないという友人でも今期は何かしらの作品を観ていて、ドラマの話をするのが楽しいです。
ドラマが盛り上がるというのはイイことに思います。
自分も今期は色々な人とのドラマ話に花を咲かせています。
コンパとかでも使えるんじゃないでしょうか。特にサバイバルウェディングの話なんかは盛り上がるでしょうね。
自分は自分で、皆さんの楽しいドラマライフの一助になれるような記事が書けたらいいなとおもっています。
また深掘り記事書きたいなぁ・・・。
fin.
【ハロー張りネズミ】
いやはや久々の投稿になってしまいましたん。
色々片付いたので少しずつまた書いていこうかなと。
ドラマの話にしておきますです。
今期ドラマ、一般の方の注目はコードブルーとカホコあたりでしょうか。
自分の注目はこの「ハロー張りネズミ」でした。
初回から3話はやや違和感のあったシリアスさとバイオレンスではじまり、
4,5話で東村アキコ先生オマージュ(大好きなので嬉しかった)や、霊能力者役で蒼井優(あけっぴろげなキャラがナイス)が登場でオカルト展開もあり、やや面白くなり、
6話のムロツヨシが演じる地方議員と、ある女性の話が傑作その1で、
7話の橋本マナミの演じたキラキラOLと八百屋さんの男性の恋の話で良好を維持し、
8話の國村隼さん演じる中華料理の店主と森田剛演じるグレの男の友情の話が傑作その2、
9話で事務所が金欠になりヒーローショーを請け負う話もなかなかよくて、
10話、徳川埋蔵金の話で最終回でした。笑
全体的には、途中から良くなっていって、段々キャラ設定もできてきたし、もっと観たいなぁと思うようになったところで終わってしまった、という感じでしたね。
特に傑作、と書いた6話と8話は見事な人情話で、「見続けてよかった。。」と思うような話でした。
2時間サスペンスのような、設定のエグさが際立った6話、逆に高倉健の名前が出てきたり、ベタベタな任侠モノの8話、この2つの話があったことでこのドラマにいい深みが出てたと思います。
瑛太、森田剛、深キョン、山口智子、蒼井優、、などなど素晴らしいキャストで演技はバッチリ。
ただ、昔大根さんが手がけた「まほろ駅前多田便利軒」(これも瑛太主演)の下赤塚版というようなところはあって、若干の既視感があったのもひとつポイントだったのかも。
惜しむらくは前半の展開の違和感かと。
ここでついてこれなかった人がかなりの数いるんじゃないかとか思ったり。
もっと話題になっていれば続編を!て話にもなるんだと思うんですが、どうでしょうか。
でも、個人的には大好きなドラマでした。
漫画原作はもっと色々な話があるだろうと思うので、もう少し彼らの活躍を観ていたかったです。
おしまい
ダウンタウン久々のフリートーク!
テレビを語りたいということではじめたブログですので、お笑いのことも書きたいなと思っていたところの大ニュース。
実は聞いた瞬間は嬉しい半面不安もありました。
というのは、ワイドナショーであれだけフリートークから笑いを生み出してる松ちゃんの姿を観ていたためなのです。またデラックスの前説はずっと二人でやってもいるようです。
つまり、ガキ使のフリートークを封印しておく理由があんまり見当たらないようにファンの僕からは見えていて。
すると、浜ちゃんとの間に何かがあったのか、など、事情があってできないのかもしれない、みたいな余計な勘繰りみたいなことを考えてしまっていたのでした。
しかしオンエアを観てみたら完全なる杞憂でした。
テレビ局の不便さの話、35-17の恐怖、ピッチャー最強説、人間ドックの話、あとだしじゃんけん、と流れるような見事なフリートーク!
どれもバッチリ面白い!
特にピッチャー最強説の「大谷がこの距離で投げたら(苺の)とちおとめでもお前死ぬで」ってくだりはなんだか、「これこれ」って感じがしたし、
テレビ局の不便さの話でも、日テレへの不満を口する浜ちゃんから同意を求められるも、日テレを擁護し、TBSの不便さに話を変えてしまうのも見事でした(笑)
最高に笑ったのは人間ドックの脳の検査の話から、松ちゃんが30年以上浜ちゃんのツッコミを受けてるって話になり、
「50いくつのおっさんが、50いくつのおっさんに叩かれて、みんなが笑っている。この国はどうなっとんねん!」てメタなツッコミ。最高でした。
話によると、元々フリートークをやらなくなったのは松ちゃんが家族ネタをふられるのが嫌だったからということですが、昨日のオンエアーではバッチリで家族ネタをやってたので、家族ネタのハードルが松ちゃんの中でさがってきたのかなという感じですね。
フリートークが復活したものの、次回はフリートークはやらないようですね。
またすぐ観られるのを楽しみにしています☆
練習したから、失敗するのが怖いんです[カルテット]
まだまだカルロス継続中です。笑
最近はbotや名言まとめ、そしていろいろな方のブログを観ながら余韻に浸っています(ながい)。
今日はこんな会話が目にとまりました
巻真紀「練習したから、失敗するのが怖いんです」
— カルテット_bot (@quartet_no_bot) 2017年3月29日
家森諭高「キッチン綺麗に掃除したから、ご飯作りたくないのと一緒ですね」
(第2話)#カルテット
なにげに深い会話ですね。すっごくわかるんです。
きょうはこの会話で深読みというか、こじつけのようなことをしてみます。
真紀の言葉は、「練習したからこそ、失敗したら自分の力がないのを認めることになるから怖い」という意味だと思っています。
そして家森の例えは、「綺麗に掃除」=「しっかり練習」したから、
「ご飯作りたくない」=「汚したくない」で合致するのですが、
厳密にいうと、この例えのニュアンスだと、「掃除された状態」=「練習の段階」が最高だというのも肯定してしまうことになるように思います。
つまり、キッチンを使っているとき(=本番)は使う前(=練習)より劣る、みたいな位置づけに受け取られかねません。
で、このたとえを使う家森の感覚が、アマチュア的なんじゃないかなと思ったのです。
音楽家の方は「本番のマジック」というものを信じている方もいらっしゃると思います。「練習をいくら重ねても、本番の楽しさに勝るものはない」というような感覚は、何度もステージをこなした方が言葉にされることのように思います。
だからこそ、あの会話は、初めてステージ立つカルテットの初々しさの表現として絶妙な言葉のチョイスで凄い!と思っているのですが、これは考え過ぎでしょうか。笑
ちょこちょここういう小ネタ的な記事を書いてみようかと思いますです。
おわり
「忙しい」
「忙しい」っていう言葉は現代においてバリヤーのように使われる言葉だと思うのです。
例えばデートやアクティビティ的なものに人を誘うときに、「忙しい」と言われると、常識人である僕はそこから先へは踏み込めなくなるわけです。笑
「常識人」て書いたのは意味があります。
忙しいと言われたらそれ以上立ち入らないというのは、ある種のマナーでもあるように感じるのです。
その言葉を出したらそれ以上は踏み込まない協定というような。
つまりそのマナー感覚を盾にする=忙しいバリヤーだと僕は感じるのです。
※あくまでも個人の意見です
今日も忙しいバリヤーを張っている同僚にどうやって物を頼もうか思案している僕でした。
おしまい
ドラマ「カルテット」(ネタバレ注意でございます)
本当は毎回感想を書きたかったカルテット
今期ドラマで一番好きだったカルテット(絶賛カルロス中です)。
放送途中からこのブログを始めたこともあって、なんだか中途半端だし、色々な方が素晴らしい記事を書かれているので、最終回を終えてから何か書いてみょう、と決めていました。
ということでやっと書きます。しかもサボっていた分、大ボリュームです。
視聴率と裏腹の「深いささり方」
自分の周りでも観ていた人は少なくて、僕のゴリ押しとも呼べるオススメで観るようになった人はいましたが、それでも観ていたのは2割位ですかね。
でも、その2割にはとっても深くささっています。
観ている人と観ていない人の温度差が凄くて、観ている側はその温度差すら楽しんでいました。「こんな面白いものを観ないなんて・・」っていう。笑
自分は完全にブルーレイBOX待ちです。オーディオコメンタリーもあるんだとか。色々特典お願いします!笑
もう少し書くと、(後でも同じような話を書きますが、)このドラマの「届け方」に関する姿勢っていうのは、「とにかく多くの人へ」みたいな乱暴なやり方ではなくて、「わかるひとに届いてほしい」という、海に手紙を入れた瓶を流すようなところがあって、個人的には好感が持てます。
ただ、それが従来の「コマーシャル」という概念と相反する部分もあるので、スポンサーからすると賛否あるのだと思いますが。
これはなんかいい解決策ないもんかなぁ・・。例えばブルーレイだとかグッズだとかの収益もスポンサーに還元するとか?(既にやってるものでしょうか。素人意見ですみません。)
そういえばこのドラマの特徴に、ドラマと関係したCMの存在もありましたね。
素晴らしき最終回
最終回印象に残ってるシーンは、
・「真紀さんを連れて帰る」のくだり
画的には一番のハイライトかも。全家森ファンがときめきまくっただろうこのシーン。「真紀を挟んですずめを抱く」というのもなんだか象徴的かも。「真紀との関係があって、すずめに出逢えた、好きなれた」的な。そしてそこに加わらない別府というのもまた感慨深いですね。ファンは萌えたのでは。
・コロッケデート
すずめの「歩きながらコロッケを食べたら誰だって幸せでしかない顔になります」に激しく同意。笑
「コロッケデートシンドローム」て言葉もなんだか魅惑的。
・コンサートやりましょう
「疑惑の美人バイオリニスト」である自分の話題性をエサに、お客さんを呼んじゃおう、カルテットの夢を叶えよう、という提案をする真紀。そして自分も魔法少女でした、別府ファミリーです、Vシネ出てました、と呼応するメンバー。ここにきて彼らの奇妙な設定がむちゃくちゃ効いてきます。凄い。
そして自分はこれをいまのエンターテイメントなるものへの揶揄でもあると感じました。「コンサートに足を運んでいるのは話題性にひかれてやってきていたりしてて、本質を捉えて楽しんで観ている人は果たしてどれほどいるんだろうか」ていうような。
・手紙
世の中に優れた音楽が生まれる過程でできた、余計なもの。皆さんの音楽は煙突から出た煙のようなものです。価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。
私は自分が煙だと気づいたからやめました。あなたたちはなんでやめないんですか?教えてください。意味はあると思いますか?将来はあると思いますか?
・・物凄くグサグサと辛らつな言葉を並べた手紙ですね。。
でも、夢を追ってあきらめた経験がある人は、この手紙を書いた人の気持ちもわかっちゃったりするから困ったものなんですよね。。笑
そしてこの手紙を差し出した人は役名として名前が出てきません。つまり「無名の人」という意味なんだと思います。
・「こぼれたのかな。内緒ね。」
演目の1曲目は「死と乙女」。すずめと真紀のあいだに共有されたものは何なのか、どこまで深いものなのか。これが最後まできちんと言及されません。後に書きますが、コレがカルテットの特徴的な「仕掛け」です。
僕はふたりは深い深い秘密を共有したんだと思います。いずれ察しのいい男子たちにも伝わることだと思いますが。「おとなの掟」を歌う真紀の表情からもそう思います。
・コンサート本番
カルテットが演奏をしている中、沢山の人が途中退席し、でも、残った人は楽しく大はしゃぎしています。普通だったらあんなにあからさまな状況はあんまりなさそうに思うんですが、敢えてわかりやすくしたんだと思います。
これはカルテットというドラマを話題性に引かれて観にきてみたものの、よくわからなくて「時間の無駄だ」として途中で観なくなってしまう人と、退席する人を意に介さず大はしゃぎするファンという構図を示しているんだと思います。こんなことするドラマ観た事ありません。なんたるメタ視点。
そしてこれが先の「コンサートやりましょう」の箇所で出てきた「来てくれた中の誰かに届けばいいんじゃないですか」というすずめの言葉につながります。
そして、そういう姿勢でこのドラマは作られたのではないでしょうか。ほんと凄く好感が持てます。
・食卓シーン②
「ここでから揚げ!」て観ながら心の中で叫びました。笑
レモンの罠を攻略する3人。
だがしかし、家森はパセリを乗せていた、、笑
また論争が巻き起こります。でもこれが大事な話で。
家森「パセリがあるときとないとき。ある、ない、ある、ない、、どう?寂しいでしょう? ないと殺風景でしょ?この子達いってるでしょう?『ここにいるよ~』って。食べても食べなくてもいいの。ここにパセリがいることを忘れちゃわないで。」
センキューパセリ。
いつもの会話と言えばそうなのですが、これがあの辛らつな手紙への回答と思われます。
必要ではないかもしれないけど、余計なものじゃない。意味がないわけでもない。ただ、そこにいるだけだっていいじゃないか。
何者でもなくたって、存在してないっていう訳じゃない。
これは、何者かでないと生きていけない・存在を認められないという風潮がある今の社会へのレジスタンス的なお話でもあると思うのです。
こういう話を食卓での会話中に混ぜ込んで、その会話も最後ふざけながら終わっていくという形で表現するのがこのドラマが「オトナである」といわれる所以であり、最高に好きなところです。
カルテットの仕掛け:「グレー」がもつ議論活性化作用
ここから少しカルテット全体の話を書いておこうと思います。
カルテットには特徴的な仕掛けがあります。
それは「重要そうな伏線を敢えてグレーなままにする」ということです。
この物語には結末や詳細を描かれない未回収のグレーな伏線が沢山あります。
それぞれの片思いはどうなるのか、関係者たちはちゃんと最後までコンサートに残っただろうか、真紀は父親を殺したのか、保険金はどうなったのか、幹生の空白の1年間、真紀が幹生ファミリーとはハグをしなかった訳、9話の家森の涙の訳、すずめにチェロを教えたおじいさんの話が何だか不思議、すずめの超能力の真偽、そもそも4人が出会ったのはどこまでが偶然でどこまでが偶然じゃないのか、、、
などなど、思いつくだけでもたっくさんあります(書き足りないので追記するかも笑)。
グレーであるということは議論の余地があるということです。
これらはすべて意図的に仕掛けられたグレー爆弾だと思っています。作動したら最後、答えの出ない議論がはじまり、視聴者たちをドラマに惹きつけて離しません。
そして、このグレー部分の答えはそれぞれの視聴者が自分で出すものというように設計されているのだと思います。
そして見事に色々な解釈をしても破綻がありません(たぶん)。
それはこのドラマが一見結論を出すのを放棄しているように見えて、実は緻密で丁寧に作られていたという証拠ではないでしょうか。
楽しい楽しい深読みバナシ
そしてグレーであることがもたらすもうひとつの効果が「深読み」です。
いくつか印象的な深読みバナシがあるので書いておきます。
・百合とボーイズラブ
これは確信犯だと思います。家森と別府を名前で呼び合わせ、すずめと真紀もどことなくそう解釈できなくもないし、ありすとすずめの百合シーンは大きな話題にもなりました。
片思いの結末を描かなかったことで、どの線もありえるままにドラマが終わり、恋の行方はファンの妄想にゆだねられた形となりました。笑
・転ぶシーンが多いけどそれぞれ意味はあるのか
このドラマの登場人物はたびたび転びます。最終回になってやっと真紀が転んだのも話題になりました。これは随所にちりばめられたジブリオマージュのひとつであるという説がありますね。ジブリはその表現力をアピールするために転ぶシーンを入れてたという話ですけども、カルテットはいかに。。
・「家森=真紀のお母さんを轢いてしまった自転車少年」説
これは物語を大きく変えてしまうような凄い話です。
家森の台詞に「真紀さんはセレブ」や「戸籍売りません」というのが出てきたのと、また家森が貧乏であり、真紀をゆすろうとしていたという過去から出てきた説だと思います。
もしそれが真実だとすると、家森が貧乏なのは保険金の支払と一家離散が原因という事になりますね。真紀との因縁が物凄く強いものになります。そして、9話の真紀の告白のあとの家森の涙の意味が大きく大きく変わります。
それっぽく筋道を書いてみると、
真紀の母を轢いてしまった罪悪感に悩みながらも、保険金を請求され、一家も離散した家森。恨みのような感情を抱いて相手方の家の娘の真紀に近づいたが、真紀は戸籍を変え、権利を放棄し、さらには暴力を振るう親を殺していたかもしれない事がわかる。あの真紀の「信じて欲しい」という悲痛な言葉は全く別の意味で家森に響いていて、家森は真紀の置かれた境遇を知り、また、真紀の言葉を信じたくなった。そしてそれを信じるということは、母を亡くされた真紀が自転車少年の罪を許してくれているのを信じるという事であり、それによって家森は涙を流したんじゃないかということですね。
ほんとに凄い話です。でも、そう解釈できるように敢えて伏線を残してあるんじゃないかと思うのです。これも真実はファンにゆだねられることになっているのではないかと。自分の中ではこのドラマ最大のミステリーであり、驚いた深読みバナシでした。
その他全体を通して印象に残っているシーンなど
言うまでもなく沢山あります。笑
こちらは詳細を書くの大変なので思いつくままに、箇条書きで。
・毎回の食卓シーン
・ベンジャミン瀧田
・別府弟に頼まれてカルテットを雇った支配人の言葉
・↑の仕事を終えたあとの路上での演奏
・悪女ありす
・すずめとありすの百合のシーン
・ありすの誘惑にものともしないマスター
・父としての家森
・家森の数々の名言たち
・真紀と幹生、と母
・すずめと社長の会話
・たこ焼き
・「人魚対半漁人」と「スターシップ対ゴースト」
・・・むー、まったく書ききれない。。笑
(これまた随時追記するかもです)
リアルタイムに観た人たちが一番楽しんだに決まってる
最後になりますが、「よいドラマはリアルタイムに観るのが一番楽しい」というのが成立すると思います。
このドラマはまとめて一気に観るよりも、リアルタイムに追いかけて、フェイク予告にもハラハラさせられながら、毎週あーだこーだ言い合いながら観たほうがきっと楽しいと思います。
こんなに色々考え、色々な気持ちになりながらドラマを観たのは、相当久しぶりでした。
本当にいい作品に出逢えたことをうれしく思っています。
しばらくは余韻に浸りつつ、ファン同士のトーク・議論に花を咲かせたいと思います。
そして余談になりますが、本当は「カルテットとラ・ラ・ランド」というテーマでもう少し書きたかったのですが、余りに大ボリュームになりましたのでまたの機会にしたいと思います。笑
初めてこんな大容量の記事を書いたので、話が前後してしまったり、構成も甘くて読み辛い部分も多分にあったと思われます。
ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。
プレミアムフライデーは誰のものなのか問題
プレミアムフライデーがやってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!
プレミアムフライデーが今日から始まりました。
関ジャニ∞がナビゲーターなのですね。
関ジャニは、テレビについて語りたい僕にとってはちょっと気になるグループです。
たまたま昨年連れられて観に行ったコンサがとっても面白かったのですが、その話はまた今度。笑
いよいよプレミアムフライデー実施となった今日ですが、わたくしは通常営業でございまして、ごく変わりない一日を過ごしておりましたとさ。
なんとなーく、自分のまわりでは、今日15時に退社した人は2%くらいしかいないかなってカンジです。笑
来月、再来月と、どうなっていくのか、動向を追ってはみたいです。
プレミアムフライデーは誰のものなのか問題
ここで、色々な方々が語っている「プレミアムフライデーは誰のものなのか問題」について語っておこうと思うのです。
というのもこの制度の恩恵に与れる人っていうのは結構限られた人だと思うのですね。
まず、「15時に退社していいよ」と言われて「ではお疲れ様でした」と帰れる、恩恵に与れる人というのは、どんな方々なのかというと、
・非サービス業種
・15時に帰っても仕事のローテに影響がない人
・お給料が時給換算ではない人
・・・というような方々であると思うのですね。
具体的にいうと、官公庁職員、大企業勤務者、流行に敏感なベンチャー企業の人あたりが該当するくらいなんじゃないかな~と。僕の友人で15時に帰ったのはそういう人たちでした。
まぁそんな状況なので、大半の人は「じぶんには関係ないや」て思ってるんじゃないかと思うんですね、僕のように。笑
プレミアムフライデーに期待することも
最後に、逆のお客さんをお迎えする側の話もしておきましょう。
自分には関係ないや、と思ういっぽうで、こうだったらいいな、て話があります。
実際どこに恩恵あるかなぁと思うと、飲食店はまぁ普通に恩恵あるかと思うんですけど、本命は映画など娯楽産業ではないかと思っています。
特に、去年ヒット作が続いた映画は、かなり見直されている流れにあると思っていて、そこにこのプレミアムフライデーが追い風になったりするんじゃないかなぁ、みたいな。
定時帰りと比べて2,3時間早く帰るってことなので、家庭を持っている人は映画館寄って帰るといつもどおりの帰宅時間になったりしますね。また、プレミアムフライデーじゃない友人と夜合流するまでの時間で映画見ようっていうのもあるのでは。
映画を観る習慣ができると、派手でわかりやすい作品だけじゃなく、多少マニアックだったり、奥深い系の作品にもスポットライトがあたるので、うまくいけばいい流れになるのではないかと。
創作作品に皆が注目するっていうのはある種成熟した社会ならではのことだと思うのです。
そういう素敵社会になるよう、クリエイターの皆様応援しています☆
おしまい