つれづれぐさ

つれづれなるままに。

「敵じゃないです」

「マスクをする理由ってなんなの?」

 て話をなんだか最近よく聞いている。

 

わりと身近でもそういう議論をしていて、

こんなに暑くて、苦しいのにマスクをする理由ってなんだろうね、と。

もちろん人にうつさないため、というのはあるけど、それにしてもマスクをするのがつらいっていうひとを、ネットでもリアルでもちょいちょいと見掛ける。

 

自分は、マスクの効果いかんも、手洗いとか消毒の効果も実際のところというのはよくわからないかもしれないけど、やれることはやっておいたらいいだろうと思う派。

だって専門家じゃないからわからないし。


アメリカとか他の国の死者数のニュースとかみてビックリするし・・。

news.yahoo.co.jp

www3.nhk.or.jp

 

前回投稿した記事の中でもふれた東洋経済のサイトで、実行再生産数をみて、全国平均で1以上が続くようなら慎重にやりすぎてもやりすぎるということはないんじゃないかなと思っている。

 

それともうひとつ、マスクには意味があると思う。

それは街とかででくわすひとに「敵じゃないです」って伝える意図があると思う。

正直、コロナに関しては考え方がバラバラ過ぎて多くの人が困っていると思う。

困惑するなかで、「俺はマスクしなくてもだいじょぶなんだ!」と言わんばかりに堂々としている人を見かけたら、基本的には「どういうつもりなんだろう?」ていうように思うのがふつうだろうと思う。

逆にいうと、マスクをしていれば基本的には「仲間ではある」ことはすぐに伝わるだろうと思う。

 

何の仲間か?

 

感染を拡大させたくないと思う仲間ってことでいいんじゃないかと思う。

 

マスクは一番わかりやすい意思表示になってると思う。

そのうえで、お年寄りとすれ違う時はめちゃくちゃ気を遣ったり、手渡しで何かを渡す時も消毒できればしてみたり、家での消毒も気を付けてみる、とか、やれることをやっておかないことにはよくなるものもよくならないと思う。

 

あまりに大きなことなので、個人でできることの限界みたいなのも当然感じる。

自分一人が一生懸命守ったって、他の人が対策してなかったらこういうことは意味がないのだから。

だけど、信じてみようと思う。

自分がラジオとかでのメールや電話などを通して伝わってくる一般の人々の姿勢というのは、できることをやる、という感じで足並みそろっていると思う。

 

精神論みたいで嫌だけど、消極的積極性とでもいうんだろうか。

マスクしたり、消毒したり、表向きはなんかよそよそしいかもしれないけど、

内心では他人のことをめちゃくちゃ思いやっている、みたいな、

坂本ドラマとか、東野圭吾作品に出てくるような人物像を皆で実践してみようじゃないかっていうような感覚でいる。

 

おしまい