ぼくりりの引退の本人解説
まえがき的な・・
もうずいぶん前の記事を扱うのは、タイミングを逃してのお蔵入り記事だからなのです。笑
だけど、ほぼほぼ書き終えていたし、やっぱりちゃんと残しておこうということでこんなタイミングでUPです。
てな訳でコチラを↓
読んだら結構衝撃的な内容で面白く、別の意味で彼を見直した。
アドラー心理学の教科書のようなお話なので、興味ある方はそういう観点で読んでもいいと思う。
まずは彼の言葉をいくつか。
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「僕はもともとマーケティング思考が強かったので、最初に『ぼくりり』をやろうと思ったとき、「アーティストはこうしたほうが売れるだろう」と純粋に思ったんですよね。」
「たとえば、建物を建てるときはまずでっかい柱を真ん中にぶちこむじゃないですか。あれがないまま、「なんとなく美しそうなもの」を建設してしまったと言うか。要するに「目的」がなかったんですよ。」
「目的がないと、なんとなくみんなが喜ぶことや良さげなことをしようっていう判断基準になってしまうんですよね。」
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目的なく他人の期待に応えるというのを続けた事によって、彼は鬱病を患ってしまう。歌も歌えなくなり、床に横たわる日々が続いたという。
アドラー心理学でいうところの「他者の課題に囚われる」という状態になってしまった。
さらに彼の「失敗談」は続く。
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どんなキャラで行こうかなぁ、と考えていたときに、「曲はめっちゃかっこいいのにショタショタしい感じの男の子でかわいい」という席が空いていたことに気付いたんです。
でも、ブルーオーシャンだと思って飛び込んだら、広さが瀬戸内海くらいしかないし、限界が知れているし、青く見えていたのが「水」じゃなくて「炎」だったみたいな。炎って温度高くなると青くなるじゃないですか!
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彼には最初に語る通り、マーケティングという視点・思考がインストールされていて、非常に頭のいい青年であることは伝わる。
空いている席を見つけるというのは、センスがいることなので、コレはコレで素晴らしい。
・・なのだけど、やっぱりそのマインドや音楽的な目的のなさ加減て、何とはなしにでも伝わっていて、それが今の今まで彼の音楽自体には興味を持ててこれなかった理由に感じる。
マーケティングはあくまで何かしたいこと、達成したいことがある時に使うツールのひとつであり、
大事なのはあくまで杖を振るう自分の中にある哲学や人生観、ここで彼の言う柱であり。
狙い通りに「キモいファン」にウケてみせ、売れた彼は鬱になり、自分の手でぼくりりを終わらせる。
不本意なものにまみれる時間というもののしんどさは、人を鬱にさせるほどのもの。
彼にはそこの想像力と、想像にいたるまでの経験がなかったのだと思う。
もし想像できていたのなら、おそらく鬱にはならなかっただろうから。
不本意なもの、楽しくないものに触れる時間は減らしていったほうがいいと思う。
そして目的は他者ではなく、自分の中に。
すべては自分を守るため。
それでも、何の成功も無いよりはやったほうがいい、という人は彼のようにチャレンジしてみればいいと思う。
ある種それも何もなさすぎて壊れてしまいそうな自分を守るための自衛手段なのかもしれない。
なのだけど、そういう方々とは残念ながら世界観や求めるものが違うような事が最近わかってきている。
おしまい